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北部国境周辺住民の悲しすぎる一時帰宅
ヒズボラと停戦になったことを受け、一部の国境沿いの住民は、様子見の一時的な帰宅をしている様子が報告されている。
12月2日(日)、イスラエル北部国境に面するキブツ・マナラ(住民300人)で生まれ育ったハガル・エーリッヒさん(72)は、家族と共に、カルミエルへ緊急避難してから14ヶ月ぶりに、自宅に戻った。
このキブツでは、155の建物のうち、110棟が破壊された。緑豊かだったキブツは、ヒズボラのロケット弾などの攻撃を受けて焼けて黒くなり、水道や電気などのインフラも、破壊され尽くしている。
ハガルさんの息子のノアムさんは、ここでビールの製造工場を運営していたが、今はカルミエルでその仕事を継続している。
まだ停戦が確実になったわけではないので、政府は北部住民に対し、2025年2月1日まで本格的な帰宅はしないようにと通達している。しかし、キブツ・マナラはあまりにも破壊が激しいので、2月1日になっても、急には帰宅できないとみられる。
マナラ復興チームの責任者ナオール・シャミア氏は、政府の復興支援金だけでは足りないので、資金集めから始めないといけないと語っている。来年9月には、学校教育を再会したいとの夢をもっているが、果たして幼いこどもをつれた家族が帰ってくるだろうかとも感じている。
取材中、破壊され尽くした、キブツからは、レバノンの山が見え、爆発音と煙もあがった。
ナオールさんは、「あれは停戦の音だ」と皮肉を言った。イスラエル軍が撤退して、はたして、安心できるのかという不安も語っている。
メトゥラでは、5週間前に、りんごの果樹園でタイ人労働者4人と働いていた息子のオメルさんを、ヒズボラの攻撃で失った、モシェ・ワインスタインさん(75)が、戻っている。
オメルさんの遺体を、果樹園で発見したのは、父親のモシェさんだった。果樹園にいるだけで、その時のことを思い出す苦しみを語っている。
בתמונה: עומר ויינשטיין ההרוג במטולה מימין, שניים מארבעת ילדיו ואביו משה, שהיה עימו בזירה @rubih67
(צילום: שימוש לפי סעיף 27 א') t.co/T51KbMknDw pic.twitter.com/hZL04J2IXk— כאן חדשות (@kann_news) October 31, 2024
北部国境で最大ともいえる被害を受けたキリアット・シモナのスターン市長は、停戦について、「ネタニヤフ首相は完全な勝利を約束したが、完全な敗北の道を選んだ」と批判していた。当事者である北部住民にとっては、安心というにはほど遠い状況だからである。
キリアット・シモナでは、383棟の建物が破壊され、破損は、2億7500万ドル(400億円)に上るとみられている。」住民の90%が避難したが、残った人もおり、住民2人が死亡した。
停戦までにヒズボラとの戦闘で死亡した市民は45人。イスラエル軍兵士は76人であった。北部の打撃と住民の心の傷は深い。
1年ぶり北部学校新学期再開
キブツ・マナラなど国境近くは、まだまだだが、イスラエル北部地域全体では、12月1日(日)、学校や幼稚園が再開され、数万人の子供たちが、1年ぶりに登校を再開することができた。
たとえば、ハイファのテルハイ小学校では、子どもたち400人が登校を再開していた。避難所の整備が完了すれば、15万人が学校に戻ることになる。しかし、大喜びの祝い風景の映像も見当たらない。
教育省によると、まだ自宅に戻れていない子供や学生は1万6000人いるとのこと。