ヒズボラとの大規模戦闘では、北部住民が大規模の避難を余儀なくされる可能性がある。
南部砂漠地帯のラマット・ネゲブ評議会は、その時のために、数万人を収容できるテント都市の建設計画をすすめている。
戦闘が始まれば数千人が、すぐにも数千人が避難してくるとして、すでに、数百のベッドやマットレスの購入が始まっているとのこと。
また、これらの避難民を管理するユニット(部署)を設立したとのこと。責任者は、キブツ・スデ・ボケル住民のネタ・イーガル氏。
このユニットには、福祉、教育、保健、IDFの代表が含まれている。2週間前に、大量避難民を受け入れるシミュレートを行い、訓練も実施したという。しかし、実際には、もっと早く、半年前には準備を開始するべきだったと言っている。
現時点では地方自治体による準備段階だが、イーガル氏は、これは国レベルのプロジェクトになるべきだと言っている。
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なお、スデ・ボケルには、イスラエルの建国を導いたベン・グリオン初代首相が政治を降りた1955年から、1973年亡くなるまで在住していた自宅があることで知られている。ベン・グリオン氏は、イスラエルにとって、ネゲブ地方は重要であると言っていた。
石のひとりごと
この記事を読んで、聖書に書いてある終末時代に関する預言を思わされた。数万人のイスラエル人が、テント避難生活というのである。
モーセ時代もそうだったが、黙示録12章によると、イスラエル人たちが、荒野に逃げる様子が預言されている。いよいよか!と驚かされた。
聖書の終末論に詳しい、栄子スティーブンス牧師によると、黙示録12:6、14、またイザヤ書34:6、63:1から、ヨルダン川のヨルダン両側に位置するペトラという、荒野(砂漠地帯)でイスラエル人たちが、一時の間、かくまわれるとみられる。
ネゲブからペトラに行くには、険しいヨルダン渓谷を通過しなければならないのだが、砂漠でイスラエル人がテント村に住む可能性を考えれば、この預言も非現実的とは言えなくなってきているのではないかと思った。