最悪の時は主の奇跡が近い時:ニューヨークの講壇より 2024.8.5

Rv. Tim Dilena FB page

時々紹介している、ニューヨークのタイムズスクエアチャーチ。先週、ディレナ牧師が語ったメッセージは、最悪の混乱になったときは、神の軌跡がみられるときでもあるということだった。

奇跡とは、ぜったいにありえないようなことが起こることである。その一つは、絶対に救われないと思われる人が救われるということ。その代表的な例が、サウロである(新約聖書の使徒の働き)。

サウロはかつて、ユダヤ教の中でも特に敬虔なことで知られていた人で、初期のクリスチャンを迫害し、殺すことさえ容認していた人物だった。

その人物が、遥か遠いダマスカスにいるクリスチャンをも絶滅しようと出かけていく途中で、イエスキリストに会い、その人生は180度転換する。クリスチャンを迫害するどころか、逆にイエスにある救いを述べ伝えたのである。

ダマスカスにいたクリスチャンたちは、こんなありえない事態をどう咀嚼したかと思う。

さらには、そのサウロがパウロとなり、その手紙が今の新約聖書になるのである。主はなんとも、ありえない人を用いるものである。

ディレナ牧師は、イエスは大工だったので、固い木ほどよい家具を作ること、またそれには時間がかかることも知っていると語る。

今覚えることは、まさに主に不可能はない。なんでもできる。また休まず今も働いている。

世界が混乱し始めた今、どんでん返しを得意とするこの神が何かをなされるということも覚えながら、イスラエルと中東、世界のためにとりなしていこうと思う。

*サウロ(パウロ)がテモテへの手紙で言っていること

私は以前は、神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者でした。それでも、信じていないときに知らないでしたことなので、あわれみを受けたのです。私たちの主の、この恵みは、キリスト・イエスにある信仰と愛とともに、ますます満ちあふれるようになりました。

「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。

しかし、そのような私があわれみを受けたのは、イエス・キリストが、今後彼を信じて永遠のいのちを得ようとしている人々の見本にしようと、まず私に対してこの上ない寛容を示してくださったからです。(第一テモテ1:15-16)

石堂ゆみ

ジャーナリスト、元イスラエル政府公認記者、イスラエル政府公認ガイド、日本人初のヤド・ヴァシェム公式日本語ガイドとして活動しています。イスラエルと関わって30年。イスラエルのニュースを追いかけて20年。学校・企業・教会などで講演活動もしています。