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1分間に35箇所攻撃の激戦
停戦をめぐる論議がある中、イスラエルは、ハンユニスや北部ガザ市での激しい戦闘は続行している。この週末の戦闘は特に激しく、1分間に35箇所ものハマスとイスラム聖戦の拠点への攻撃が行われた。
これにより、武器庫や武器製造工場、トンネル、数百機にもおよぶロケット弾発射地と、指令拠点も破壊した。一連の公的で、ハマスなど戦闘員113人が死亡したとIDFは報告している。
ハンユニスとラファでは、空爆も数回行われた。ラファでは、幼い子供たちを含む一家14人が死亡したとの報告もある。ガザでの死者数は3万400人となった。(このうちの1万4000人がハマスであり、多くはハマスの不発のロケット弾などの犠牲者もいるとイスラエル軍は主張)
北部ガザ市では、最集結しはじめたハマスとの戦闘が続いている
イスラエル予備役兵4人戦死
この一連の戦闘で、ハンユニスでは、仕掛けられた罠が爆発し、イスラエル兵3人が死亡。14人が負傷。このうち6人は重傷である。またその翌日にも1人が死亡。ガザ地上戦での戦死者は、246人となった。
死亡したのはドレフ・マルカ軍曹(19) アフィク・テリー軍曹(19)イノン・イツハク軍曹(19)
4人目は、デニス・イェキモフ少佐(33)小さな女の子の父親であった。イスラエルでは、ハマスとの戦闘が始まってから116人の子供が父親を失っている。
予備役兵について:ノーマルライフへの帰還の困難
イスラエルは、ハマスとの戦争が始まった時、普通に市民生活をしている30万人の予備役兵を招集した。
この人々は、呼び出されるまでは、普通の市民でもある。幸いにも従軍機関を生き延びた場合、イスラエル軍は、最大でも3-4ヶ月で家族の元にいったん帰らせている。無論また呼び出しがある可能性や、休暇で戻る人もいる。
イスラエル軍は、昨年11月に、ガザでの戦闘を大軍によるものから、短期精鋭型にしたので、多くの予備役兵がいったん除隊、または休暇として家に戻ることができた。
しかし、銃撃戦と罠に囲まれた戦場から普通の生活にもどることは、かなり難しいという。戦場では、部隊の1員として仲間とともにおり、いわば100人分の値打ちがあるような気がする。
ところが、軍を離れて家にもどると、一市民であり、そこまでの値打ちは感じられず、いわば100人から0人になる感覚になるというのである。
また激しい生死の世界にいたので、日常の細かいことがらが、「どうでもいい」と思ってしまい、いらついて、怒りやすくなる。出征以前と同じではなくなってしまうのである。
アリエル・ベンガジさん(46)は、2009年と2014年のガザでの戦闘で従軍したベテランの予備役兵。今回もガザでの戦闘が始まってすぐに招集され、音楽フェスの被災地の処理にあたった。これまでにみたことのない光景を見たということである。
その数ヶ月後に解除となり、家に戻り、ガイドの仕事もした。しかし、とにかくすべてが馬鹿馬鹿しく見えて、前のようにエクサイトして、案内しながら語ることができなくなっていたという。
予備役が終わったあと、海外へ旅行に出る人も少なくないようである。しかし、ガザではまだ人質を解放できておらず、戦争が終わっていないので、どうにも達成感がない。
今もまだ戦場にいる兵士たちのことを思うと、当然ながら、前と同じように休暇を楽しめなくなっている。イスラエル軍は、こうした予備役兵たちへの心のケアもおこなっている。
先日、大阪のファラフェル屋さんで聞いたところによると、日本は物価が安いこともあり、かなりのイスラエル人たちが、旅行や遠隔オンラインの仕事で、日本に来ているという。またいつかその人々の話も聞いてみたいと思う。