先週ガザ国境で、任務にあたっていた国境警備隊員で、射撃手のバレル・ハダリア・シュムエリさん(21)が、至近距離から頭を撃たれて重症となっていたが、9日後の月曜、死亡した。
バレルさんは、ガザとの国境にあるコンクリートの壁の穴ごしに射撃しようとしていたときに、その穴から逆に銃撃されていた。イスラエル軍は、パレスチナ人たちがそこまで近づいているとは思っていなかったのである。
バレルさんは、一時瀕死状態から重症になったと伝えられていた。病院では、命だけは助けようと努力が続けられ、病院周辺では、多くの人がバレルさんを思い、集まっていた。しかし、バレルさんは逝ってしまったということである。
バレルさんは、テルアビブの軍人墓地に葬られた。葬儀に集まった人は数千人に及んでいた。母親のニツァさんは、慟哭の様子で「息子についていく。生きていけない。」と嘆きながら、軍、政府、ベネット首相にも責任があると訴えた。
最悪なことに、ベネット首相は、バレルさんが負傷した際、家族に電話をかけたのだが、その中で、バレルさんの名前をその父親の名前と間違って、ヨシさんと言ったことが問題になっていた。ニッツァさんは、葬儀でもその話を出していた。
家族は、作戦上のミスだけでなく、負傷したバレルさんをヘリコプターではなく、1時間近くかけて、救急車で、ベエルシェバの病院に搬送したことにも不満を訴えている。家族は、厳密な調査を求めるとともに、独自でも調査を行うとのこと。
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<葬儀に出席の右派議員たち:右派から憎まれるベネット首相>
葬儀には、右派リクードからエリ・コーヘン議員、宗教シオニスト党からは、イタマル・ベン・グブール議員、ベツァレル・スモルトビッツ議員も出席していた。葬儀の中で「ベネット首相」という言葉出るたびに、群衆の間では、ブーイングが広がっていたとのこと。
ベネット首相は以前は極右といわれるほどに、右派一本の政治家であった。それが新政権に入る、首相になるために、左派やあろうことかアラブ政党とも手を結ぶという変わりぶりであった。このため、右派たちからは、裏切りのレッテルを貼られており、首相就任の前から、身の危険があるとのこと。特に5月のガザとの戦闘の際は、ベネット首相身辺警護が強化されていた。
バレルさん死亡の後も、ベネット首相が追悼をフェイスブックに投稿したところ、そこに“選出された者への死の脅迫”を投稿した者がいた。その後、23歳の人物が逮捕されている。