1981年から30年にわたってエジプトを支配したエジプトのホスニ・ムバラク前大統領が、2月25日、91歳、病気により死去した。
ムバラク大統領は、1973年のヨム・キプール戦争で、イスラエルに対する電撃攻撃を成功させ、ヒーローとして、政界にも認められるようになった。2年後には、副大統領になり、1981年に、イスラエルとの和平条約締結でサダト大統領が暗殺されると、大統領に就任。
以後30年、微妙に西寄りの姿勢をもって、”現代のファラオ”として、エジプトの安定を維持したのであった。
しかし、2011年にアラブの春が勃発し、エジプトでも指導者のムバラク大統領も辞任に追い込まれた。その後は、不正な蓄財などで、終身刑を言い渡され、以後刑務所での老後を過ごしていたが、シシ大統領になってから裁判のやり直しが行われ、無罪を言い渡されていた。
ムバラク前大統領の死後、エジプトでは、3日間、喪に服すよう、全国に指令がだされた。しかし、エルサレムポストによると、ムバラク大統領時代に汚職がまん延する中、失業率が上がって、市民たちは苦しい生活を強いられたことから、この指令を複雑にとらえている人も少なくないという。
ネタニヤフ首相は、故ムバラク大統領に何度も会ったとして、友と呼び、「イスラエルとの平和を維持して祖国の平和と治安を維持した指導者だった。」と追悼の言葉を述べた。
パレスチナ自治政府のアッバス議長も、エジプトのパレスチナ人の権利を認め、支援してくれたムバラク大統領への感謝を述べた。
<石のひとりごと>
ラビン首相、アラファト議長、シャロン首相、ペレス大統領に続いて、ムバラク大統領の死去と、イスラエル建国以来の苦難に関係する人物がまた亡くなった。筆者にとっても、これまでなじみであった名前がまた消えていき、いよいよ新しい時代へ押し出されるような気がする。
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