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イスラエルはどう動く!?緊張の中ラマダン入り:3月10日から4月8日まで
3月10日日没(日本時間深夜0時以降)、いよいよイスラム教ラマダンが始まった。4月8日まで、約ひと月続く、イスラム教徒にとっては最も聖なる例祭期間に入ったということである。
ハマスとイスラエルの間の交渉では、ラマダン前に停戦を成立させることはできず、イスラエルはハンユニス含むガザ全土での戦闘を継続中である。アルジャジーラによると、10月7日以降のパレスチナ側の死者数は、ガザが3万1045人。(ハマス戦闘員の死者数含む)
一方、金曜には、イスラエル予備役兵のアミシャイ・ベン・ダビッド少佐(43)が死亡し、戦死者は248人となった。しかし、イスラエルは、人口密集で、懸念されているラファへの攻撃も辞さない構えである。
バイデン大統領は、ラファへの攻撃は、さらに多くの犠牲者が出ることは避けられない。イスラエルのためもならない。赤信号だと、ネタニヤフ首相を非難する声明を出した。これに対し、ネタニヤフ首相は、バイデン大統領の方が間違っていると反発。ラマダン中にもラファへの攻撃を示唆する勢いである。
なお、イスラエルの民主主義研究所による世論調査では、75%がラファへの攻撃に賛同するとの結果が出ている。右派と自覚する人はこれよりも大きい数字であるが、左派と自覚する人々でも45%がラファへの攻撃を支持していることがわかった。
現在、汚職問題にハマスの侵攻を可能にしてしまったとして、ネタニヤフ首相個人の支持率はかなり下がっている。また人質家族たちは、強行路線を続ける現政権に反発し、政府に総選挙を求めるデモが激しく行われており、国民もこれに同情はしているのだが、結局のところ、ハマスを排斥する必要性を理解する国民は、少なくとも半数以上にのぼるということである。
www.timesofisrael.com/liveblog_entry/poll-75-of-jewish-israelis-back-rafah-operation/
また、北部ではヒズボラとの衝突がエスカレートし、イスラエル北部への攻撃が、毎晩相次いでいる。無論反撃、攻撃で、ヒズボラの武力を削ぐことにも力を入れている。
西岸地区ではパレスチナ人とイスラエル軍の衝突、エルサレムでは死者も出るテロ事件が発生している。これまでに西岸地区でパレスチナ人425人が死亡(ほとんどは戦闘員)。東エルサレムでは、ラマダン前2週間の間に、テロ計画しているとしてパレスチナ人20人が逮捕されている。
こうした中でのラマダンである。今、最も懸念されているのが、エルサレムの神殿の丘(イスラム教の聖地の一つアル・アクサモスク)である。ここで大規模な衝突が発生した場合、ガザだけでなく、ヒズボラ、その背後にいるイランも動く可能性が出てくる。
ラマダン入りで特に懸念される地域
1)エルサレム旧市街のアルアクサモスク
ラマダン期間中、アルアクサモスクには、イスラム教の巡礼が、イスラエル国内だけでなく、西岸地区、ガザ地区、ヨルダンや中東諸国から10万人規模でやってくる。
警察を管轄する極右政治家ベングビル氏は、ガザは言うまでもなく、西岸地区からパレスチナ人の神殿の丘への入場を禁止。イスラエル国内のアラブ系市民の入場も制限すると述べ、批判が殺到した。
イスラエル首相府報道官は、敵はイスラム教徒ではなく、過激なイデオロギーだと強調。エルサレムでの礼拝に来るイスラム教徒の礼拝の自由は守ると火消しに慌てたような声明を出した。
しかし、実際のところ、ここ数年、イスラエルは状況に応じて、特に危険になる可能性が高い、40歳以下男性の入場を許可しないなどの対策をとっている。多くは、旧市街の門の外で足止めとされ、道路上で、イスラエル治安部隊が見守る中、モスク方面に向かって祈る形になっている。
以下は、ラマダン最初のハラム・アッシャリフの祈りに来た人の様子。明日からは、もっと多くの人々がやってくるとみられる。
なお、ラマダンに先立ち、テロを計画していたとして、パレスチナ人30人が逮捕された他、エルサレム旧市街では、小規模ではあったが、ラマダン初日で祈りを捧げに来た巡礼者と治安部隊の間で衝突が発生。緊張が始まっている。
*アルアクサモスク
エルサレム旧市街、イスラエルでは神殿の丘と呼ばれる敷地があり、現在も岩のドームがそびえたっている。その南部にある大きな礼拝の建物がアルアクサモスクだが、この名称は、イスラム教徒の間では、敷地全体を指す時にも使われている。
エルサレムは、聖書にアブラハムがイサクを捧げた場所と書かれており、紀元前10世紀には、ユダヤ教の神殿が建てられていた。イエスキリストも、第二神殿時代に、その中で教え、裁判を受けたということである。イエスが十字架にかかった後まもなくの西暦70年、神殿の丘は、ローマ帝国によって破壊され、その後は長く放置されていた。
7世紀になると、アラビア半島で新しく始まったイスラム教を土台とするイスラム帝国やってくる。イスラム教は、聖書の神を否定していないのだが、エルサレムから追放された最初の選民ユダヤ人は、その役割から降ろされたと考えている。またその次に出てきたキリスト教も不十分だったとして、イスラムこそが本当の神、またモハンマドがその預言者であると考えている。
イスラム教の啓典コーランには、モハンマドが、夜のうちに天へ上り戻ってきたと書かれている。それがエルサレムであったとして、サウジアラビアのメッカ・メディナに次いで、イスラム第三の聖地とされるようになった。このために、イスラム教徒が巡礼に来るということである。
muslimhands.org.uk/latest/2018/04/8-facts-we-didn-t-know-about-masjid-al-aqsa
2)ガザ地区もラマダン
餓死者も出るようになっているガザ地区でもラマダンに入った。すでに断食状態になっている人にとっては、終わりのない断食月のようなものである。通常なら、派手に、明るく家や通りが飾られるのだが、今年は、そうはいかない様子。しかし、それでも、大勢が礼拝を捧げる様子が伝えられている。
3)北部ヒズボラとイランの動き
ラマダンが始まる直前、北部レバノンから、イスラエル北部にむけて、断続的にロケット攻撃があった。元イスラエル軍将校であり、現在特に北部情勢の専門家である、サリット・ゼハヴィ氏は、今もレバノンから9キロの地点に住んでいる。(0-5キロまでの人は政府が避難補助を出す)
ゼハヴィ氏は、ラマダンに入り、今後どうなるかはイラン次第だと分析する。ヒズボラはイスラエルとの交渉はしないと言っている。ガザでの戦闘の勢いによって、ヒズボラも攻撃してくるが、その時に、イランがどう出てくるかが決まる。イランが出てきたら、これはもう大戦争になるということだが、イランがどう出るかは、予想はできないとゼヴァディ氏は語っている。
そもそもイスラム教とは?ラマダンとは?
1)イスラム教とは?
イスラム教は7世紀初めに、預言者モハンマドが、アラビア半島で天地ガブリエルにコーランを授かったことから始まった。モハンマドは23年にわたって掲示を受け、それがコーランというイスラム教の啓典になった。イスラム教には、モハンマドの言葉をまとめたハディスがあり、これも啓典とされる。その啓典から出てきたのが、シャリアというイスラムの法律である。
イスラム教徒には、六信五行が課せられている。六信とは何を信じるかで、①アラー、②天使、③啓典、④預言者、⑤死後の世界、⑥天命(運命は神が定めるもの)
5行は、6信に基づく行動で、①信仰告白(声に出す)、②礼拝(1日5回の祈り)、③喜捨(富むものが貧しいものに与える)、④断食(ラマダンの間の断食)、⑤巡礼(一生に一度は聖地へ行く)となっている。
2)ラマダンとは?
イスラム暦第9月のひと月を指す。イスラム教徒の成人は、日中は断食(飲食とも)し、性交渉も避けて、肉欲を遠ざけて、罪か羅遠ざかり、アラーへの信仰を深めるというのが、大きな目標である。
日中、断食はしているが、早朝断食前には特別な食事をとり、日没後には、家族と共にご馳走を食べるので、1ヶ月まるまる断食というわけではない。断食地ている日中は、5回、メッカのカーバ神殿方向に向かって、アラーに祈りを捧げる。