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ハマスが、今週土曜の人質解放を延期すると表明したことで、一時、停戦合意が崩壊し、戦争がフルで再開になるとの懸念が広がったが、その後、仲介国による水面下の交渉が行われ、予定通り、本日6回目の人質解放が行われることになった。
しかし、10日後に始まる予定の第二段階についての交渉はまだ行われておらず、先行きは不透明なままである。たとえ行われたとしても、ハマスとイスラエルの間には、大きな溝があり、解決への見通しは、ほとんどみえていない。
ルビオ米国務長官:トランプ大統領案意外の代替案はあるのか?
こうした中、アメリカのルビオ国務長官は、ガザでは停戦の間に、ハマスが再構築を進めているとし、イスラエルがこれを受け入れることはできないだろうと、戦争再開を支持する発言を出した。
しかし、その後、「とはいえ、イスラエルが戦争を再開させても結論にはならない。」と述べた。ルビオ国務長官が意味していることは、結局のところ、ハマスがガザで勢力を維持する限り、ガザ問題に解決はない、これまでの繰り返しにしかならない、ということである。
とはいえ、アメリカが、直接ハマスと戦うことはないし、また周囲にいるアラブ諸国も、パレスチナ人のために、ほとんど何もしてこなかったと指摘した。結局、戦うのはイスラエルしかなく、そうなると、これまでと同じ、憎しみの悪循環でしかなく、解決にはならないということである。
このため、ルビオ国務長官は、今のところ、トランプ大統領の案は唯一の解決案だと述べつつ、しかし、もし、アラブ同盟から他に案があるというなら、その案を聞く用意はあると述べた。
現在、エジプトが、代替案を準備していると言っており、2月27日にサウジアラビアで行われる予定のアラブ同盟国の会議で、審議されることになっている。
エジプトの計画については、現在わかっているところによると、復興を3-5年と定義し、復興を地元パレスチナ人(おそらくパレスチナ自治政府)が監督するとなっている。
時間的にも明らかに地下トンネルは温存になるとみられることと、イスラエルは、パレスチナ自治政府の直接関与は否定しているので、イスラエルの合意を得られるとは考えにくい。
ルビオ国務長官は、2月16日(日)にエルサレムで、ネタニヤフ首相と会談の予定となっている。
石のひとりごと:エゼキエル書にトランプ大統領案に似た一文?
トランプ大統領のガザ市民際定住案は、かなり突飛で不可能に見える。しかし、聖書の中のエゼキエル書にそれを連想させるような箇所があった。
神である主はこう仰せられる。ペリシテ人は、復讐を企て、心の底からあざけって、ひどい復讐をし、いつまでも敵意をもって滅ぼそうとした。
それゆえ神である主はこう仰せられる。見よ。わたしは、ペリシテ人に手を伸ばし、ケレテ人を断ち滅ぼし、海辺の残った者を消えうせさせる。
わたしは憤って彼らを責め、ひどい復讐をする。彼らは、わたしが彼らに復讐するとき、わたしが主であることを知ろう。(エゼキエル書25:14-17)
この中で、「復讐を企て、心の底からあざけって、ひどい復讐をし、いつまでも敵意をもって滅ぼそうとした。」という一文からは、イスラエルを憎み続けるガザのパレスチナ人を思わされる。
その結果、神である主が「海辺の残った者を消えうせさせる。」と書いてあるのだが、これがガザに対するトランプ大統領案を連想させられるのである。
ただし、ここで出てくる「ペリシテ人」は、響きは似ているが、今の「パレスチナ人」とは直接の関係はない。
ここに出てくる「ペリシテ人」は、エーゲ海にいた海洋民族だったが、紀元前12世紀後半に、カナンの地に移住した人々で、ガザ、アシュドドや、シュケロンなど、今のイスラエル南部に多く住んでいた人々である。
ちょうど同じ頃、アブラハム、イサク、ヤコブを通して登場してくるイスラエル人もカナンの地に入ってきたことから、聖書には、ペリシテ人がイスラエルを憎み、時代を超えて敵対することが書かれている。しかし、このペリシテ人は、時間の経過ともに他民族と交わっていき、民族としては8世紀ぐらいに消え去ったとみられている。
今の「パレスチナ人」は、それよりずっと後、1948年イスラエルの建国とともに行き場を失ったアラブ人たちを指しているのであって、昔から存在する民族でもなければ、そういう名前の国の国民でもなかった。
しかし、この箇所が表していることは、イスラエルを侮ってはならないという、時代を超えて続いている原則である。
この箇所で、ペリシテ人が嘲笑っているのは、イスラエルである。この当時のイスラエルは、その神である主に背を向け、深い罪に陥っていたため、主は、バビロン捕囚という大きな苦難を通ることを許された。ペリシテ人たちは、主の裁きを受けて苦しむイスラエルを見て嘲笑ったのであった。
しかし、イスラエルの神、主はイスラエルを見捨てたわけではなかったので、その後、イスラエルを元の地に帰らせたのである。この時、イスラエルを嘲笑ったペリシテ人は、逆に裁きを受けて、「海辺から消え失せる」ということである。
イスラエルを嘲笑うと言うことは、その神、主を嘲笑うことになり、最終的には、逆に裁きを受けて滅ぼされるというのが、歴史上繰り返されてきた原則なのである。近代では、ナチスのヒトラーもユダヤ人を滅ぼそうとしたが、最終的には、ナチスの方が滅ぼされている。
今の現象はどうだろうか。イスラエルは中東でも最もハイテクで、最強と呼ばれる軍を持っている。にもかかわらず、2023年10月7日には、アナログで低レベルの強盗のようなハマスに、1200人もの市民を安易と虐殺され、251人が拉致された。
その背後には、世俗に傾きすぎて、主から離れようとするイスラエルの若者文化があったともいわれている。ハマスはさぞ嘲笑ったことだろう。
また、人質を解放する時の様子は、いかにもイスラエルを馬鹿にする様子である。
しかし、主がこれをそのままにしておくことはない。
もし、ガザのパレスチナ人を全員、第三国に移動させるというトランプ大統領案が実現したら、まさに、「ペリシテ人に手を伸ばし、ケレテ人を断ち滅ぼし、海辺の残った者を消えうせさせる。」のようにならないだろうか。
もし本当にこれが実現したら、聖書が言っているように、「わたしが彼らに復讐するとき、わたしが主であることを知ろう。」ということにならないだろうか。
主は、イスラエルがどんなに悪に傾いても、離れることはない。まずイスラエル自身が、きっちり裁かれることになるが、それを見て、嘲笑っていると、逆に裁かれることになる。これが、これまでの地上での歴史の繰り返しである。
ガザでトランプ大統領案が実現するのかどうかは、わからない。しかし、イスラエルは今の時代においても、絶対にあなどってはならない国であることに変わりはないと思うのである。