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国会解散:ラピード暫定政権発足決定
ベネット首相が国会解散、首相交代の意向を表明してから、泥沼状態の交渉になっていたが、30日朝、ようやく国会で残りの採択がすべて行われ、国会の解散が決定と、総選挙の日程(11月1日)が決まった。
これにより、懸念されていた西岸地区の法律に関する法案は6ヶ月延長となり、6月30日に期限切れを迎えて、7月1日から、入植地にイスラエルの法律が適応しなくなるという混乱は避けることができた。まさにギリギリであった。
通常なら、今のベネット首相が暫定首相になるところだが、ベネット首相(50)は、この前日、ラピード外相(58)と首相を交代すると発表していた。このため、7月1日の0時から発足する暫定政権の首相は、ヤイル・ラピード氏ということになる。
ラピード外相は、国会での採択の後、すぐにヤド・ヴァシェムを訪問し、イスラエルを守り切る決意を表明。この1年で外相として培った経験と人脈をそのまま引き継いでの外相兼、首相として働くことの覚悟を表明した。
その後、首相府では、ベネット首相が、ラピード外相に首相職の引き継ぎが行われた。ベネット首相は、この1年で成し遂げたことに満足を表明しており、時期総選挙でも出馬しないこと、またヤミナ党首の役割からも引退することを表明している。
いわば、気持ちよく首相から降りるということであり、さらには、これからもイスラエルの国のために一兵士として最善を尽くすと述べていた。
ベネット首相は、「今、イスラエルの聖なるボタンをあなたに引き渡す。しっかり守れるように。神があなたをまもってくださるように。」と述べた。ラピード新首相は、「これはさよならパーティではない。これからも共にいる。これまであなたの下で働いてきたが、あなたは、すぐれたよい人格者だ。素晴らしい友人だ。」と語った。
ベネット首相は、その家族全員を、ラピード外相は夫人を伴っての両者笑顔の中での引き継ぎ式となった。
続いて、ラピード新首相は、その妻リヒさんとともに、ヘルツォグ大統領を訪問。大統領は、支持を表明するとともに、11月に総選挙(3年半の間に5回目)があるのだが、選挙よりもまずは国を運営することに集中するようにと、ラピード新首相に語ったという。
www.timesofisrael.com/lapid-at-pm-handover-ceremony-with-bennett-the-job-is-bigger-than-all-of-us/
その後、側近、首相府のスタッフを発表した。首相府ディレクターは、ナアマ・シュルツ氏で、イスラエル史上初となる女性ディレクターである。ベネット前首相時代から引き継ぐ人も数人いる。
ベネット首相の今後
ベネット首相は、首相からだけでなく、ヤミナ党党首からも辞任する。イスラエル史上、もっとも短い首相であったが、ベネット首相がなしとげたことは少なくない。これは本人も自覚しており、退陣前には、そのことともに、協力者への感謝も表明している。
振り返れば、批判をうけながらもワクチンや規制解除など政策をすすめ、コロナからのほぼ脱却にまで導いた。2年半ぶりに正式な予算案を通過させることもできた。ガザとの大きな戦闘もなんとか回避した。
アブラハム合意以後、湾岸諸国との外交に前進をもたらす一方、シリアにおける、イラン対策には厳しく対処した。国際社会へのアピールも熱心に行った。ロシアとウクライナの間では、微妙な中で、中間的な立場を維持し続けている。
史上もっとも多様な政権としてのチャレンジ、その歴史的な成果は、ベネット首相の引き際の潔さも含め、高く評価する記事もある。ただ国政に力をいれすぎて、足元の自党から寝返るものが続出したことが原因で、政権が崩壊したわけなので、これについては、ベネット首相の落ち度であったと指摘する記事もある。
また、政策がアラブ人優先になりがちとなり、右派や入植者の反発を受け、暗殺の脅迫を受けたこともある。またパレスチナ人の経済を支える政策をとればとるほど、パレスチナ人からのテロや暴力が増えたとの見方もあった。
イスラエル人の知人たちに聞くと、意外にも多くの人がベネット首相を支持しないと言っていたのも事実ではある。。
www.timesofisrael.com/yair-lapid-takes-over-as-israels-14th-prime-minister/
退陣するベネット氏は実にすっきりした顔なのだが、ハアレツ紙は、壁にぶちあたってめちゃくちゃになった車の横で、ベネット首相がラピード新首相に渡す風刺画を出していた。実際には、大変な中での首相交代であることは確かであろう。