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2週間前にエルサレムで、路面電車を待っていた人々にパレスチナ人の運転する車ま突っ込んで、3ヶ月の乳児が死亡したが、同様のテロが5日午後、また発生した。
場所は、前回のテロと同じ道路上で、パレスチナ人居住区のシュアハットと、超正統派の居住区メア・シャリームの境目で、路面電車の駅と横断歩道が重なる交差点。
そこで信号待ちしていた人々の群れに車がつっこみ、国境警備隊のジャダン・アサドさん(38・3才児の父で妻は妊娠中)が死亡。12人が負傷。うち2人が重傷となっている。
犯人の車は、最初に治安維持任務にあたっていた国境警備隊員を蹴散らし、そのまま暴走して人々の群れに突っ込んだ。その後、暴走を続け、国境警警備隊の車に取り囲まれたとろ、金属棒をふりまわしながら車から降りてきて逃げようとしたため、射殺された。
犯人は、東エルサレム・シュアハットに住むパレスチナ人イブラヒム・アル・アカリ(38)。筋金入りで知られるハマス戦闘員で、兄も、ギラッド・シャリート兵士との交換で釈放されたテロリストだった。事件後、ハマスは、犯行声明を出し、諸手を上げて犯行を賞賛するとともに、もっと同様のテロを行なうよう、呼びかけた。
国内治安部長アハロノビッツ氏は、「テロは、これが最後ではないだろう。」と述べ、これからも続く可能性があるとみて、治安の強化を続けている。
また路面電車の駅が狙われていることを受けて、駅周辺にコンクリートの防護ブロックを設置する措置を決めた。シュアハットに最も近いユダヤ地区フレンチヒルの駅は今夜に設置される。
犯行現場では、事件後、右派ユダヤ人らが集まり、「テロリストに死を!」と叫んでいる。夜が更けるにつれて、現場にはイスラエルの大きな旗を掲げた右派ユダヤ人たちが集まって来ており、緊張が高まっている。一方、そこから歩いて10分ほどのシュアハットでは、通りで治安部隊に石を投げるなどして衝突が始まっている。
夜10時すぎ、エルサレムとベツレヘムの間の入植地グッシュ・エチオン付近で見張りに立っていたイスラエル兵3人に、パレスチナ人の車がつっこみ、兵士3人をひいた。3人は病院に搬送されたが、1人は重傷となっている。
こうしたエルサレムの情勢悪化を受けて、全国の学校は、今週のエルサレムへのフィールドトリップをすべて保留にすることを決めた。
<東エルサレムのシュアファット>
先のシュアハット近くでのテロ事件が発生した時、ちょうど、シュアファットで取材中だった。この町は、6月にユダヤ人に少年を殺された町で、以来、治安部隊と頻繁に衝突し、殺気立った状態となっている。
エルサレム北部にさしかかると、テロがあった路面電車が走る通りに面して大きなモスクがあり、ユダヤ人に殺された少年の写真が大きく掲げられている。そこから町に一歩入ると、シュアハットである。
一歩、入ると、雰囲気は一気に中東になる。狭く乱雑な道路に多数の車が、ひしめきあっている。譲りあうということがないので、クラクションが鳴りっぱなしである。
その車の間をすり抜けるように、それこそわんさかと子供たちが歩き、走り、笑いながらこちらを向いて歩いて来る。どの子の表情も生き生きしていて、落ち来んだ顔の子供は印象にない。
しかし、記者たちを迎えた大人たちー中高年の男性のみーは、どの顔にも怒りがあり、難しい顔をしていた。関係者以外の人も、多数の記者が入って来たので、いぶかしそうな、なんだろうという、たとえていうなら、牧場で牛たちがいっせいにこっちを向いている、あの感じで、こちらを見ていた。
後でわかったことだが、男性たちの多くはイスラエルの刑務所に5年は行っていたという強者で、PFLP(ジョージ・ハバッシュ)に所属する者が多数いたらしい。一人は、家族のほどんとがイスラエルの刑務所にいたと自慢そうに話した。
「今は、いつイスラエルが来て逮捕されるかわからないので、眠れない。平和がほしい。」といいながら、イスラエルを散々非難した。自分が悪いということは、まったく眼中にないようだった。
とにかく、人々の様子、通りの様子、家や建物、子供たちの様子がイスラエル側とは天と地がひっくりかえるほど違う。まるで”どこでもドア”でイラクかシリアにでもワープした感じである。
記者会見において、シュアハット町長のイシャク・アブ・カデイル氏は、「ユダヤ人少年を殺害(6月)したパレスチナ人は殺され、彼らの実家は破壊された。それなのに、パレスチナ少年を殺した(6月)ユダヤ人は逮捕されただけで、家は壊されておらず、対応が違う。」と激怒していた。
シュアハットの住民たちは、路面電車については、その経路が、わざわざ東エルサレムを通過して、事実上パレスチナ地区をとりこもうとしていると言っていた。
路面電車で便利になったのではないのかと聞くと、「その分、バスがなくなったので不便になった。またユダヤの例祭には動かないので、パレスチナ人にとっては逆に不便になった」と怒っていた。
また、シュアファットは、数日前に、ネタニヤフ首相がユダヤ人家屋500軒の建築許可を出したラマット・シュロモーに隣接している。その建設予定地に関して、シュアハット住民のマヌエレ・イサ氏(60)は、「ユダヤ人に土地をとられた。」と激しく怒りながら何度も訴えた。
建築予定地は、まさにシュアハットとラマット・シュロモーの間にあり、空き地をはさんで、両方の地域が目と鼻の先に見えている。
そのラマット・シュロモーに住んでいるのは、正統派ユダヤ教徒がほとんど。ラマット・シュロモーコミュニティ議長エズラ・バーガー氏によると、この人々は通常ニュースやテレビを見ないので、自分たちが紛争の中心地の一つであることすら知らない人がほとんどだという。
このどこでもドア状態のエルサレムの現状は、以前にも見ていたが、今回は、どうにもショックが大きかった。この全く違う二つの文化、価値観が、互いを知る接点が全くないまま、殺し合いになりはじめている。この問題に、人間的な解決はまさにないのだということをこれまで以上に思い知らされた。
<故ラビン首相暗殺を覚える日>
奇しくも11月5日は、故ラビン首相が、右派ユダヤ人に暗殺されたことを記念する日だった。ラビン首相はパレスチナ人との平和を願い、アラファト議長と握手し、オスロ合意にサインした首相である。
結果的にこの契約で、テロが増加したことは誰もが認めるところだが、ラビン首相が生涯を国に捧げて、真心から平和をめざしていたことは、イスラエル人たちの心に大きな感動を今も与え続けている。
テルアビブでは土曜、ラビンスクエアでの集会に2万人が終結。エルサレムでは、神殿の丘、市内でのテロが発生する中、ヘルツェルの丘で記念式典。国会では夕方にも式典が行われた。
しかし、今日ほど、平和が遠いものに感じられた日はなかったのではないだろうか。エルサレムの平和のために祈れ。今夜特にその祈りが必要になっている。