ユダヤ教のティシャ・ベ・アブ(神殿崩壊記念日)と、イスラム教のハジ(巡礼最終日で犠牲祭の始まり)が重なる8月10日午前、エルサレムの神殿の丘で、パレスチナ人とイスラエル治安部隊の間で激しい衝突が発生した。
その4日後の15日、神殿の丘周辺の警備にあたっていた警察官が刺され、その翌16日には、エルサレム南部のグッシュ・エチオンで、車のつっこみテロが発生。10代のユダヤ人2人姉弟が重傷を負うなど、テロが相次いだ。
16日夕刻には、ガザからイスラエル南部へロケット弾が撃ち込まれ、イスラエル軍が空爆の報復を行う事態となった。神殿の丘関連で、緊張が高まりつつあるのではないかと懸念されている。一連の事件については以下の通り。
<10日:神殿の丘(ハラム・アッシャリフ)での衝突>
イスラエル政府は、基本的にイスラム教の例祭時には、イスラム教徒以外が、神殿の丘へ入ることを禁止する。今年も9-14日までは、入場不可となっていた。
しかし、11日(日)は、ユダヤ教のティシャ・ベ・アブで、毎年、右派は1000人規模で、神殿の丘に入る日である。右派たちは、この日は、神殿の丘へと主張した。最終的に、イスラエル政府は、ユダヤ教徒も、この日、神殿の丘へ上がることを許可すると発表した。
すると、イスラム教側は、「ユダヤ人の”侵略”を防がなければならない」として、この日の各地モスクでの礼拝をすべて中止。
パレスチナのメディアを監視する団体PMWによると、通常なら神殿の祈りは、朝4:29、5:56、12:44とされるところ、朝7:30として、できるだけ多くのイスラム教徒は、ハラム・アッシャリフ(神殿の丘)での祈りに参加するよう呼びかけていたという。結果、紛争時、数千人のアラブ人がいたとみられる。
www.jpost.com/Middle-East/Israeli-watchdog-accuses-PA-of-plotting-Temple-Mount-violence-598687
11日朝、ユダヤ人たち(警察によると計1729人)が、神殿の丘への入り口ムグラビ門に到達するやいなや、アラブ人たちが投石を始めた。治安部隊は、催涙弾や、暴動処理班も出動して、これに対処した。
衝突は、長く続かなかったが、少なくともアラブ人31人が負傷。警察官も4人が負傷した。
www.israelnationalnews.com/News/News.aspx/267214
その真下にある嘆きの壁では、ティシャ・ベ・アブの祈りに来ていたユダヤ教徒が、この日だけで15万人を記録していた(嘆きの壁基金調べ)。紛争の音が、響いたが、被害が及ぶことはなかった。
この暴動について、ヨルダン、サウジアラビア、カタールが、厳しく非難する声明を出した。ハマスは、イスラエル警察と争ったアラブ人たちに賞賛を述べ、イランのサリフ外相は、ツイッターで、イスラエル警察を”テロリストと書き込んだ。
www.timesofisrael.com/saudi-arabia-qatar-condemn-israel-over-temple-mount-clashes/
*起爆元:神殿の丘
エルサレムの神殿の丘は、1967年の六日戦争の時に、イスラエルが奪回して以来イスラエルの主権下に入ることとなった。
しかし、神殿の丘にイスラエルの神殿が建っていたのは、2000年前(弥生時代)以前のことで、神殿はAD70に崩壊。その後、7世紀後半以降、今にいたるまで、1300年以上は、イスラムの黄金のドームとアルアクサモスクが建つイスラムの聖地であった。
このため、六日戦争当時にイスラエル軍を率いていたモシェ・ダヤン将軍は、アラブ世界との衝突を避けようとして、神殿の丘からイスラエル軍を撤退させ、神殿の丘の””管理は、ヨルダンのイスラム組織ワクフが担当、治安の維持はイスラエルの警察が受け持つという非常に複雑な形に置くことで合意したのであった。
これが今にいたる紛争の元凶だ指摘する声も決して小さくない。
この複雑な共存の結果、今もイスラム教徒は、基本的に、いつでも、どの入り口からでも神殿の丘への入場が許されている。一方、ユダヤ教徒、キリスト教徒などイスラム教徒以外は、嘆きの壁近くのムグラビ・ゲートからのみ、1日2回、限られた時間のみの入場となっている。
さらに、イスラム教徒以外が、神殿の丘に、聖書や祈祷書などの宗教関連の書物を持ち込むこと、祈ることは徹底して禁じられている。
こうした中、強硬右派ユダヤ教とたちが、時々神殿の丘に入り、アラブ人達との衝突が数え切れないほど発生してきた。
昨今では、第三神殿を建てようとするユダヤ人のグループが活発化してきたことを受けて、イスラム教徒たちが、「ユダヤ人が神殿の丘を取りに来る」として、少しのことでも暴動になる事態が続いている。
神殿の丘、イスラムからすればハラム・ッシャリフは、今や、聖地中の聖地として扱われ、ここでの出来事に関連して、ユダヤ人を攻撃する場合は、いかなる状況であっても正当化されることになる。常に一触即発、危険きわまりない状況になっている。