石のひとりごと:怒りの日でも親切!? 2017.12.9

トランプ大統領の一言で、これほど世界が動くとは、やはりアメリカ大統領の影響力は相当なものである。またエルサレムという町がやはり人類にとって、最大の震源地であるということも改めて実感させられた。

しかし、その震源地に住む人々の思いや現状は、あまりニュースにはあがってこないもので、現地エルサレムの人々は、紛争にはもうなれていると見え、何があってもたんたんと生きているものである。

「怒りの日」金曜午後、西エルサレムから東エルサレムに続く路面電車に乗ってみた。西エルサレムの金曜は、安息日入りで、午後にはすでに人出は少なくなっている。バスが3時前には終わってしまうからである。

車内では、帰宅を急ぐユダヤ人たち。太りすぎて長い黒のジャケットが閉まらない白ひげの大きな超正統派の老人。ダマスカス門駅からは、神殿の丘での祈りを終えたばかりとみられるイスラム教徒の男性3人が乗ってきた。

車内には、ユダヤ人もアラブ人も、老いも若きもごく普通に乗っている。そのうち、黒のサングラスをかけた警備員が、爆弾がないか椅子の下などをにらみつけながら、ちょこまかと車両の中を歩きまわりながらやってきた。

車内では、切符の挿入の仕方がわからないパレスチナ人を、エチオピア系ユダヤ人が助け、降りる方向を間違えているユダヤ人女性を、パレスチナ人イスラム教徒の男性が助ける一面も。ユダヤ人もパレスチナ人も困っている人は普通に助ける人々なのである。

東エルサレムを超えて、エルサレム北端ピスガット・ゼエブからまたUターン。路面電車から旧市街のダマスカス門周辺に人々が固まっているのが見えた。

ダマスカス門の前の広場には、500−600人ぐらいの人々と、銃を構える緊張した面持ちのイスラエルの国境警備隊が50人ぐらいはいただろうか。女性警備員もけっこういた。けが人が出た場合に備え、蛍光色のチョッキを着て、あちこちに2-3人づつ立っているのは、パレスチナの救急隊である。

ちょっとした群衆になってはいるのだが、パレスチナ人のティーンエイジャー十数人が叫んでいるだけで、どうみても周囲に構えるテレビカメラのクルーなど、メディア勢の方が多かった。テレビカメラに加えて、パレスチナ人たちもスマホで撮影していた。

しばらく見ていると、わーと言う声群衆の声が聞こえ、騒然となった。デモを解散させようと時々治安部隊が多数で乗り込んでいくのが見えた。一瞬人々が蜘蛛の子をちらしたようになったと思ったら大きな石が飛んできた。

やばいと感じ背後に逃げた。数メートル前にいたカメラクルーに石のかけらがあたったようで頭を抱えている。わらわらとパレスチナ人の救急隊がかけつけたが大したことはないようだった。ダマスカス門から道をはさんだ反対側の通りでは、大勢のパレスチナ人たちが、いっせいに深刻な顔で混乱する方をみつめていた。

と、だれかが高価そうな三脚を忘れたようである。混乱の中で、小さな女の子をつれていた誠実そうなパレスチナ人の男性がみつけて、「これあなたの?」と聞くので、違うと答えると、すぐ前を歩いていってしまいかけていたカメラマンに、急いで声をかけていた。そのドイツ系のテレビクルーのものだった。

”怒りの日”の中で見たパレスチナ人の親切が新鮮で声をかけてみた。日本から来たというと、笑顔で「ウェルカム」という。暴動現場で、なんともミスマッチな感じだった。彼らにとってはこんな衝突は日常なのだろう。

トランプ大統領とネタニヤフ首相は、エルサレムはイスラエルの首都と認める事が平和への一歩だと言っている。イスラエルがエルサレムの市政を運営した方が皆が安定し、繁栄し、両者が共に平和になる考えているのである。

それはまだまだ無理かもしれず、ひょっとしたら聖書にある終末時代以降のことかもしれないのではあるが、現実的にもそうであると思う。きちんとした社会制度があり、扇動する者がいなければ、一般のパレスチナ人たちはユダヤ人ともけっこう仲良く共存できるのではないかと思う。PLOが出てくる前は、そうだったのである。

確かにイスラエルには、ユダヤ人の国とうところを第一にするが、同時に非常に多様な国でもある。様々な文化背景の人々とおりあいをつけて共存している。おそらく民主国家として世界で最も鍛えられている国だろう。これはここに住んでいての実感だ。

また、イスラエル人はパレスチナ人を痛めつける鬼のような存在だと思われがちである。しかし、この国の住民は、ごみ捨て場が汚くなっても野良猫に餌を与える方を選ぶような人々である。

エルサレム市では最近、地域のゴミ収集所を清潔にするため、地下にゴミが入るしくみを作ったのだが、そうすると、野良猫がゴミをあさることができなくなった。しばらくすると、住民たちが、その周辺に猫用に食べ物を置いていくので、結局ごみが地表に散乱するようになっている。それに苦情を出す人はいない。

暴動管理を終えた屈強な治安部隊が、弁当をたべているところに野良猫がくると、大きなフライドチキンを投げてやり、一緒に食べている様子にも遭遇した。

イスラエルには、基本的に、人間であれ動物であれ、命を最優先に尊重する文化がある。それはイスラエルが、神に創られた命という概念とともに、ホロコーストという死の谷を歩いた人々だからではないかと思う。

パレスチナ市民に、死んでもいいから立ち上がってイスラエルと戦えという指導者とどちらがよいか明白ではなかろうか。

実際、東エルサレム在住のパレスチナ人の多くは、イスラエルの国籍を申請している。もし東エルサレムがパレスチナの首都になれば、生活のレベルは今より確実に落ちるということを、多くのパレスチナ人が感じ取っているのである。

不条理感が残るかもしれないが、これが、パレスチナ人の指導者も含め、皆が認めようとしない、トランプ大統領の言葉を借りると、”明らかな”現実である。

なにやら1国家案支持者のような書き方になってしまったが、トランプ大統領が、目指しているのは、結局そこに行き着いてしまうのだろうか。。?ともかくもアメリカがどんな和平案を提示してくるか注目するところである。

石堂ゆみ

ジャーナリスト、元イスラエル政府公認記者、イスラエル政府公認ガイド、日本人初のヤド・ヴァシェム公式日本語ガイドとして活動しています。イスラエルと関わって30年。イスラエルのニュースを追いかけて20年。学校・企業・教会などで講演活動もしています。

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