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アムステルダムのサッカーリーグでイスラエルチーム応援イスラエル人らへ暴力
11月7日(木)夜、アムステルダムではサッカーのヨーロッパリーグが行われ、イスラエルのマカビー・テルアビブのチームが出場していた。イスラエルからは、数百人のファンが応援に来ていたが、試合後に、親パレスチナを叫ぶ、イスラム教徒らアラブ人からなる暴徒に襲撃される事件が発生。
映像を見ると、イスラエル人たちが、暴徒に殴る蹴るのボコボコにされている。暴徒らは、会場から出てくるイスラエル人を待ち伏せして、親パレスチナのスローガンを叫びながら暴行に及んでいた。
調べによると、暴行は1か所ではなく、市内複数箇所で発生しており、63人が逮捕され、340人が現場から排斥される規模であった。
これを受けて、イスラエルと世界でも、現代のポグロムだと衝撃となった。
Some horrifying "just anti-Zionism" in Amsterdam tonight as Israeli soccer fans are lynched by huge pro-Palestine mobs. Where are the police?! pic.twitter.com/HMwQgCwJMi
— Eitan Fischberger (@EFischberger) November 8, 2024
暴力は数時間続き、イスラエル人10人が負傷。5人が病院へ搬送された。また一時、最大10人と家族の連絡が取れなくなり、拉致も懸念されたが、その夜9日(金)午前3時までには全員の無事が確認された。
この翌9日は金曜、イスラムの祈祷日で、イスラエル人の対する暴力が爆発する懸念があった。このため、イスラエル外務省は、この時、アムステルダムにいたイスラエル人たち数百人に、ホテルから出ないように指示。
地元警察と協力して、途上の警備が確立した午前9時に、空港へと誘導。AFPによると、それからの数日間で、約2000人が、イスラエルが派遣した特別機で、イスラエルへ帰国した。
その後、イスラエルの諜報機関モサドが、この事件の前に、オランダ政府に暴動の懸念があることを伝えていたことがわかり、それを軽視していた可能性が問題となり、調査が進められている。
また逮捕した63人のうち、59人が早々に釈放され、拘留されたのは、わずか4人であったことから、国全体の反ユダヤ主義傾向にも懸念が出ている。
現在、新しく外相になったばかりのギドン・サル氏がアムステルダム入りして、現地と調整を図っている。
*ポグロム
ユダヤ人に対する集団的な暴力、迫害行為のことで、非ユダヤ人が、突然、ユダヤ人の居住地を襲って殺害を含む暴力を振るうという現象のこと。
1821年にオデッサ(今のウクライナ)で始まり、主にロシア南部で広がった現象であったことから、ポグロム(暴力的に壊滅させる)ということばが使われるようになった。
encyclopedia.ushmm.org/content/ja/article/pogroms
現代の水晶の夜「クリスタル・ナハト」とネタニヤフ首相:ヤド・ヴァシェムは各国首脳に対処要請
11月9日夜から10日早朝といえば、1938年に、ナチスが支配するベルリンとドイツ国内で、ユダヤ人に対する襲撃事件が発生した日であり、水晶の夜「クリスタル・ナハト」として記憶されている。アムステルダムでの事件の後、ネタニヤフ首相は、現代の水晶の夜だと懸念を表明した。
*水晶の夜「クリスタル・ナハト」
1938年11月9日夜から10日にかけて、ナチスだけでなく、ドイツの一般市民も加わって(ナチスが一般庶民の服を着ていたケースもある)、近隣のユダヤ教シナゴーグや、ユダヤ人店舗、家屋を襲撃し、窓を壊して火を放った。月夜に、割れたガラスが光っていたことから、「水晶の夜」と呼ばれている。
暴動は、ドイツ全土にとどまらず、ナチスが併合したばかりのオーストリア、チェコスロバキアなドスデーテン地方でも発生していたが、ナチスの治安部隊は、これを市民による怒りの蜂起だとして、非ユダヤ人に被害が及ばない限り、これを静止しようとはせず、消火活動も行わなかった。逆にユダヤ人を逮捕していた。
この大規模なポグロムで、ユダヤ人91人が死亡。約3万人がダッハウの強制収容所へ送られた。レイプもあり、事件後の自殺件数が大幅に増加したとのこと。全地域で、267のシナゴーグが崩壊。想定7500のユダヤ人店舗が破壊され、商品は略奪された。ユダヤ人墓地も破壊された。
最も被害が大きかったのは、ヨーロッパで最大のユダヤ人コミュニティがあるとされていた、ベルリンとウイーンだった。この事件を皮切りに、ナチスのユダヤ人大量虐殺への歩みが始まっていったのであった。
アムステルダムの事件の後、イスラエルのホロコースト記念館ヤド・ヴァシェムの館長ダニー・ダヤン氏は、反ユダヤ主義は言葉で阻止できないものだとして、世界の首脳に対し、この病的傾向が、即時に対策を進めることを呼びかけた。
www.yadvashem.org/press-release/08-november-2024-07-53.html
アムステルダムその後:親パレスチナデモで混乱
暴動を受けて、アムステルダムのハルセマ市長は、懸念すべき「反ユダヤ主義暴力だ」との声明を出し、週末に予定されていたデモを禁止とした。
しかし、サッカーのファンとはいえ、イスラエルのマカビーファンの中には、いわゆるフーリガンと呼ばれる極端な右翼も少なくない。
8日夜、アムステルダム市内から警察に保護されてホテルに向かうにあたり、大声で「ガザにはもう子供はいないから学校はいらないのだ」「イスラエル軍にアラブに勝利させよ」などと叫ぶ様子も伝えられていた。
このため、マカビーファンの方が、混乱を煽った。アムステルダムは、イスラエル人に攻撃されたとの声もある。
Israel’s Maccabi Tel Aviv hooligans, protected by police, chanted anti-Arab slurs and a genocidal song in Amsterdam, including lines like “no schools in Gaza because there are no children left” & “Let the IDF win to fuck the Arabs”.
They also attacked Palestinian flags.
This… pic.twitter.com/MIposXA2vx
— Clash Report (@clashreport) November 8, 2024
10日には、市のデモ禁止令に逆らって、アムステルダム市内で、数百人による親パレスチナデモが発生。イスラエル人マカビーファンを非難した。警察は解散をこころみ、100人以上を逮捕した。負傷者も出たようである。
Protesters shouting “Amsterdam is saying no to Genocide” I guess 200 to 300 people. #emergencyprotest ©️iAnnet pic.twitter.com/MVdN1sJ8Ic
— iAnnet 🦋 (@iAnnetnl) November 10, 2024
これを受けて、ハルセマ市長はデモ禁止令を14日(木)まで延長すると発表した。
このデモ隊の動機は、イスラエルは憎むべき存在、イスラエルに反対することこそが正義だということである。確かに、マカビーファンの行動はそれを煽った部分は否めない。
しかし、ここまでの怒りは、それだけに特化した怒り以上のものである。在アムステルダムのユダヤ人は、ユダヤ人へのピュアな「憎しみ」を見たと言っている。
まさにナチス時代を彷彿とさせる動きである。
14日(木)パリでのサッカーリーグにフランス警察が4000人配備
イスラエルのサッカーチーム、マカビー・テルアビブは、14日(木)パリで行われるサッカーリーグで、フランスのチームと対戦することになっている。フランス警察は、市内警備に4000人を配備し、球場内にも1600人のスタッフを配備するとのこと。
イスラエル政府も、マカビーファンたちに対し、パリでの試合観戦には行かないよう、要請を出した。しかし、右派のマカビーファンが、パリに行かないということがあるだろうか。14日にも会場に現れて、問題に発展する可能性が懸念される。
石のひとりごと
最近、日本人の中に、ユダヤ人は嫌いではないが、国としてのイスラエルは受け入れられないという考え方があることを知った。
しかし、イスラエルは、基本的にユダヤ人の国である。ユダヤ人との長い歴史があるヨーロッパでは、両者を完全に別物にすることは難しい。
イスラエルへの過剰な憎しみが、昔からあるユダヤ人への嫌悪感に結びついていることは否定できないだろう。
そのため、この事件が、クリスタル・ナハトを記念する11月9日前後に行われたことは、非常に懸念される点である。
しかし、イスラエルには、そのユダヤ人とイスラエルへの憎しみに火を注いでしまう過激右派がいる点がややこしい点である。
過激右派たちがユダヤ人、またその国イスラエルを代表しているわけではないのだが、メディアを通して、イスラエル全体のイメージなってしまい、火を注ぐ結果になってしまう。
来週14日、パリでのサッカーリーグが平穏に終るようにと祈る。