3日、ドイツのメルケル首相がイスラエルと2日間訪問。ネタニヤフ首相と会談し、イラン問題、パレスチナ問題と特にイスラエルが計画中のベドウィン村強制撤去など、意見が対立する問題について話しあった。
同時に、ビジネスマンらも同行させ、テクノロジーでの協力など、ホロコーストを乗り越えての両国の関係強化を図る訪問でもあった。戦後、ドイツは、イスラエルにとっては最大の友好国である。
その前に、メルケル首相は、ヤド・バシェム、ホロコースト記念館を訪問し、記憶のホールで献花を行った。メルケル首相がヤド・バシェムを訪問するのは3回目になる。
最後の記帳では、以下のメッセージが書き込まれ、注目された。
「80年前の11月。ドイツのユダヤ人は、クリスタルナハトで未曾有の憎しみと暴力を経験した。その後に来るホロコーストは文明市場比べものにならないような犯罪であった。ドイツには、この犯罪を永遠に覚え、反ユダヤ主義と戦い、移民排斥他あらゆる憎しみと戦う責任をおっている。」
*クリスタルナハト
1938年11月9日にドイツで発生したユダヤ人に対する暴動。シナゴグやユダヤ人焦点が襲われ、ガラスが破壊されて破片が月明かりに輝いていたことからこの名がつけられた。ホロコーストが始まっていく分岐点とされる。
<石のひとりごと>
ドイツは、すさまじい犯罪とその結果、負わなければならなかった戦後の国の完全な崩壊から、みごとに立ち上がった。経済的にも祝福され、今やヨーロッパのリーダーである。
イスラエルのユダヤ人に限るが、ドイツはおおむね悔い改めたというのが、イスラエルでは一般的な見方のようで、ドイツへの感情的な憎しみは感じられない。多くのイスラエル人はドイツに旅行し、ビジネスでの関係も非常に深い。
この背景にあるのは、ドイツが、国として戦争中の犯罪を明確に認め、ユダヤ人とその国イスラエルに膨大な補償を、延々と今も続けていること。またその責任は終わることなく、「永遠」に続くと言い切る姿であろう。
これが言えたからこそ、過去の罪から解放され、犠牲者と加害者の間に新しい関係が構築できたのである。その関係は、加害者側が、被害者の下になり、謝り続ける姿ではない。対等に立って意見の違いも論じ会える信頼関係の回復を意味する。
そういう意味ではナチスドイツの罪が、誰の目にも明らかであったことは、ドイツにとっては、不幸中の幸いであったかもしれない。
ドイツの姿からは福音の原則を考えさせられる。神の前に自分の罪を認め、その責任は永遠に続くと認めることがまず前提となり、神との関係が回復が始まる。
問題は、罪を認めた後、その補償をどうやって支払うのかということ。その額は計り知れなく、自分で支払うことは不可能である。福音(ゴスペル)とは、キリストが、十字架でその補償、罰の支払いを私たちの代わりに負ってくださったということである。
これを信じ、受け取る時、神との関係が回復する。これは具体的にいえば、死んで神の前に出た時の心配がなくなるということを意味しており、聖書ではこれを「救い」と言っている。
これはまた神の前に、犯罪者として小さくなって歩むことではなく、神との愛に基づく信頼関係に戻ることを意味する。
福音は死んでからの話だけではない。過去の罪から解放されるとき、残りの人生、本来の使命を果たし、祝福の道を歩むことになる。多少言い過ぎかもだが、この原則は、イスラエルとドイツの関係を見る時にも少し理解できるように思う。