泣くべきか踊るべきか:ハマスが襲撃に選んだシムハット・トーラーの日 2024.10.8

(photo credit: AMIR COHEN - REUTERS)

10月7日のハマスの大虐殺は、ユダヤ教のシムハット・トーラーの朝だった。この日は、1週間の仮庵の祭りの後、8日目に続く9日目にあたり、祭日であり宗教的にも最高の喜びの日である。通常なら、皆でトーラー(聖書の巻物)を抱えて皆で喜ぶ日である。

ハマスの大虐殺を受けてから1年、この日に喜ぶべきかどうかを問う、「Should we cry or should we dance(泣くべきか踊るべきか)」というユダヤ教正統派の中のハバッド派のティーチングクリップが出ていた。

まず、シムハット・トーラーとは何か。いろいろな考え方があるが、一例として、仮庵の祭りは、将来、大変な悔い改めの日(ヨム・キプール)の後、メシア(救い主)が来て、世界に贖いをもたらすとされる。

その後、ユダヤ人と世界の民がメシアの元で過ごす、素晴らしい時が来る、その時を表していると言われている。8日目は特に、1週間が終りにあたり、別れを惜しむメシアが、もう1日、人々と共に最も親しく過ごす日とも言われている。シェミニ・アツエレートと呼ばれる。

その翌日がシムハット・トーラーである。この日は、人類で最初に、聖書を預けられているユダヤ人だけが特に、メシアとの親密な関係、聖書を喜ぶ日とされている。

いわばユダヤ人にとっては、非常に嬉しい、喜びの頂点のような日であり、聖書を抱えてダンスをする日である。(イスラエルでは、シェミニ・アツェレートとシムハット・トーラーは同じ日に行われる)

www.chabad.org/library/article_cdo/aid/4689/jewish/Shemini-Atzeret-Simchat-Torah-2024.htm

ハマスは10月7日、昨年のシムハット・トーラーの日を選んで、イスラエルのユダヤ人を襲い、悪魔ともいえる大虐殺をしていったのである。ユダヤ人にとって最高の喜びの日に、大惨事が来たということである。

神はなぜこれを阻止しなかったのか、と普通なら考えるだろう。悪魔はいわば、ユダヤ人に神への最大の疑問を投げかけたともいえる。

先日、神戸のユダヤ教(ハバッド派)のラビに、少しその話を聞いたが、ユダヤ人は、神のことは全部わからないので、いくらでも疑問を神に投げかけることは許されていると言っていた。

ただ最終的には、神が、確かに存在し、すべてを支配しているお方であることは否定できない事実であること、また、最終的にはよいお方であると書いてあるところに、立ち返る事になるとのこと。

たとえ、自分に都合の悪い結果が来たとしても、この神はいないという選択肢は、我々にはないとラビは言っていた。

聖書のヨブ記には、信仰深いヨブが、ある日、自分の家族、財産、自分の健康まで失うことを通して、この神に本当に出会う結果なるという経過が書き記されている。

ラビはまた、新年のメッセージにおいて、本物の甘さというものは、蜂という棘とその痛みを伴うものが生み出す蜂蜜にあるのであって、普通に甘いフルーツからくるのではないと語っていた。理解できないような苦難でも、そこから何が生み出されてくるかはわからないと期待するというのである。

だから、ユダヤ人は、どんなに理解不能な大惨事の前でも、この日は、神の前で泣くのではなく踊る。それこそが、敵に対する勝利であり、ユダヤ人の強さなのだと、ハバッド派のビデオは締めくくっている。

今年のシムハット・トーラーは、10月24日(木)の日没に始まる。イスラエルにいるユダヤ人たちにとっては、残虐なハマスを思い出す日になるだろう。

現実として、犠牲者とその家族は世俗派が多いので、この日にシナゴーグに行く人がどのぐらいいるかはわからない。

しかし、それでも、そういう人々に遠慮することはなく、各地のシナゴーグでは、踊って喜ぶことになるのだろう。

石堂ゆみ

ジャーナリスト、元イスラエル政府公認記者、イスラエル政府公認ガイド、日本人初のヤド・ヴァシェム公式日本語ガイドとして活動しています。イスラエルと関わって30年。イスラエルのニュースを追いかけて20年。学校・企業・教会などで講演活動もしています。