新政府のごたごたが続く中、2日、国会は7年の任期満了を迎えるリブリン大統領に代わる次期大統領(第11代)を誰にするかの決議を行なった。
候補は、イスラエルの第6代大統領ハイム・ヘルツォグ氏の息子で、現在ユダヤ機関代表であるアイザック・ヘルツォグ氏(61)と、息子2人をイスラエルの戦争で亡くし、教育者としてイスラエル賞を受賞したミリアム・ペレツ氏(67)の2人であった。ペレツ氏が選出されていれば、イスラエル史上初の女性大統領になるところであった。
投票の結果は、ヘルツォグ氏がこれまでの大統領選挙では最高となる87票を獲得。ペレツ氏は26票となり、ヘルツォグ氏が次期大統領に決まった。以下は選出された後のヘルツォグ氏の演説
着任は7月9日。リブリン大統領、ネタニヤフ首相、次期政権と目されるラピード氏、ヘルツォグ氏がかつて党首を勤めた労働党のミハエリ氏、また海外からは、バイデン米大統領もヘルツォグ氏に祝辞を送った。
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イスラエルの大統領は、政治には直接関わらない形で、国内、また海外との友好関係を促進役割を担う。特別な地位は伴わないものの、イギリス王室や日本の皇室に似た働きを行う立場である。イスラエルでは、最も栄誉ある立場とされる。
今のリブリン大統領は、特にアラブ系市民との交流に力を入れていた他、テロや事故の犠牲者には必ず見舞いに足を運んでいた。子供たちを官邸に集めてのイベントを行ったりもしていた。海外から着任する外交官を迎えるのも大統領である。
リブリン大統領は、任期中、最愛の妻を病気で亡くしたが、数日後には公務に戻っていた。リブリン大統領もまた、国民に愛された大統領であった。
<2代目政治家として>
ハイム・ヘルツォグ氏は、アイルランド生まれのユダヤ人で、まだイスラエルが建国する前の1935年にパレスチナへ移住。イスラエル軍の前身ハガナーのメンバーとして、独立戦争を戦っている。
軍人であるだけでなく、アイルランドにいた時代からチーフラビであったことから、イスラエルでもアシュケナジ系のチーフラビも務めた。
大統領になったのは、1983年。1997年に死去したときは、イスラエル建国を支えた一人としてヘルツエルの丘に葬られた。
こうした英雄の一人の息子として、アイザック・ヘルツォグ氏も軍では、天才が配属されると言われているハイテク諜報部8200部隊で活躍した。政界入りは、1999年。父と同じ労働党員として、国会で議席を得たのは2003年からである。
その後、労働党党首として、シャロン政権、オルメルト政権で、住宅相、観光相、厚生相、ディアスポラ相などの閣僚を努めた。
この間、かつてイスラエル建国を実現したベングリオン首相が所属していた労働党の威光はどんどん小さくなり、野党に転落する。その後、2015年、ヘルツォグ氏は労働党を出てシオニスト党という左派政党を立ち上げ、野党筆頭として、リクードとも戦った。しかし、2018年には政界を退き、ユダヤ機関代表に就任していたのであった。
国民にどのぐらい愛される大統領になるかは、まだ未知数だが、イスラエルという国にとっては、重要な家系の一人であり、いよいよ建国以降の2代目が大統領に就任したと注目されている。