昨日:一時ユダヤ人が暴徒化:西エルサレム 2014.7.2

<少年3人の葬儀・埋葬>

昨日1日夕刻、ヘブロン郊外で、遺体となってみつかった3人の少年の葬儀が、それぞれの出身入植地で行われた。その後、3人の遺体は、エルサレム近郊の町モデイーンに移送され、3人並んで一緒に埋葬された。

葬儀には、数百とも数千ともいわれる人々が参列している。またモディーンの埋葬には、ペレス大統領と、ネタニヤフ首相も参列した。

<エルサレムで、報復を要求するデモ>

葬儀と同時刻、エルサレムでは、政府に対し、厳しい報復を求める右派たちのデモが行われた。

400人ほどのデモ隊は、最初はエルサレムへの入り口付近で、道路を封鎖して、イスラエル政府に対し、パレスチナ人に実質の報復をするよう訴えていたが、だんだん怒りが高まって、付近を歩いていたアラブ人を捕まえてリンチし始めた。

警察がアラブ人を暴徒から救出したが、デモの若者たちは「報復」と書いた横断幕をかかげ、「アラブ人に死を」と叫ぶなどして、そのまま町の中心にまで移動した。

一時、混雑するマーケット(マハネイ・ヤフダ)に入ろうとしたため、警察が阻止。町の中心でもデモ隊と警察が一時乱闘騒ぎになっている。暴徒は、そのままアラブ人が多数いる旧市街に入ろうとしたが、警察が阻止した。

<石のひとりごと:現在のエルサレムの様子>

3人の少年が遺体と発見され、今日はパレスチナ人少年の遺体が発見された。エルサレムに在住するものとしては、何とも言えないどっしりした不安感、胃の中に石を抱えるような思いがする。

あるユダヤ人男性は、「ちょうど夏休みが始まったし、ティーンエイジャーたちには時間がある。同年輩の少年が殺され、政府がなにもしない今、自分たちの手で復讐をと考えてもおかしくはない。」と言った。

それにしても、ちょうど昨年の今頃、和平交渉再開と言っていたのに、1年立った今、皮肉にもまるでパンドラの箱をあけたように憎しみあうようになってしまった。

しかし・・それでも日常生活は続く。今朝も、東エルサレムで取材した帰り、10分ほど路面電車に乗ると、マハネイ・ヤフダの市場についた。あざやかな赤い種無しのスイカ。丸いままでも、1個、約10シェケル(300円)で売っている。

10分ほど先では、パレスチナ人とイスラエル軍が、衝突しているというのに、ここでは人々が、いつものように、普通にそれぞれ今日の食料を買っている。私もいつものところで、いつものおじさんから、1週間分のパンとバナナを買った。

いつもと違うことといえば、帰りのバスの中で、いつもより大きな音量でラジオのニュースが流されていたことだろうか。乗客はむっとした表情で聞いている。

少年がまた殺された。やりきれない。これから何がおこるのだろう・・・。しかし、おこるまではどうしようもない。イスラエル軍は強いし、なんとかしてくれるだろう。気にしてもしょうがない。だからまあ気にせず、生きていく。そんなところだろうか。

石堂ゆみ

ジャーナリスト、元イスラエル政府公認記者、イスラエル政府公認ガイド、日本人初のヤド・ヴァシェム公式日本語ガイドとして活動しています。イスラエルと関わって30年。イスラエルのニュースを追いかけて20年。学校・企業・教会などで講演活動もしています。

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