戦時下でヨム・キプール(大贖罪日):嘆きの壁で最後のスリホット(悔い改め) 2024.10.11

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嘆きの壁で大贖罪日前最後のスリホット(悔い改め)の祈り

イスラエルでは、11日日没からヨム・キプール(大贖罪日)に入る。これに先立ち、10日の深夜からは、エルサレムの嘆きの壁で、最後のスリホットの祈りが捧げられた

スリホットとは、赦しということで、この1年の間の罪を認め、神の前に告白するということである。その罪が翌日のヨム・キプールで贖われるとされている。

今はミサイルがいつ飛んでくるかわからない。また、国内ではテロが連続して発生している中、エルサレムの旧市街に行くのは、大きな危機を伴う。

しかし、エルサレムの嘆きの壁は、神、主の前に悔い改めを捧げるイスラエル人たちで、埋め尽くされていた。今年は、海外から来るユダヤ人も少ないので、ほとんどは国内にいるユダヤ人だったと思われる。以下は生中継。

スリホットでは、それぞれが祈るというよりは、大祭司的な存在であるチーフラビが捧げる祈りに合わせて共に祈り、「アーメン!」と叫んでいる。

その内容は、神の前に誓ったことを果たさなかったこと、神への不従順と反発などへの悔い改めである。最後にそれでもどうか、言葉を発してくださり、イスラエルの民と国を祝福してくださるようにと祈るのである。

ユダヤ教は欧米系のアシュケナジー系とそれ以外のスファラディ系があるので、2人のチーフラビがそれぞれ祈りを捧げた。

ユダヤ人たちは、11日日没から始まるヨム・キプール(大贖罪日)、水も食事もとらない断食に入る。

*「贖い」の意味:ユダヤ教とキリスト教の土台

贖いとは、犯してしまった罪の代価、言い換えれば罰が決定した際、罪を犯した本人ではない、誰か代わりの者が負うか、高額の罰金を支払うことで、帳消しにするということである。

結果的に、罪を犯した者と犯された者の関係が元にもどる、回復することになる。

Temple Institute

ユダヤ教ではかつて、年に一回、エルサレムの神殿で、最も聖いとされる牛や子羊を殺して、その代価とし、神の前に捧げるという方法がとられていた。それが、ヨム・キプールである。

キリスト教は、まだ神殿があった時代に、人種も時代も超えて、すべての罪の代価となるよう、神ご自身がその代価となるイエスを遣わされたと信じるものである。

イエスは、十字架刑で殺され、そうして生き返って、罪の贖いが、完成したことを宣言した。これを信じるのがキリスト教である。

キリスト教では、年に一回ではなく、いつでもスリホット、自分の罪、また自分が所属する国についても、その罪を言いあわらして、悔い改め(二度と繰り返さないと誓う)るとともに、イエスがその罪を代わりに罪を担って贖ってくれたことを信じれば、それに対する赦しと、神との関係に回復を受け取ると信じる。

「贖い」ということを考えると、代わりになっただれかが、その罪人を買い取るというイメージである。クリスチャンはこのために、イエスに買い取られるほどに愛され重要視されていることを確信し、残りの人生をイエスとともに歩む生き方になる。

そうしてこの地上で、神が与えられた使命が終わる時に、関係が回復している神の元へ帰ると信じるのである。

しかし、本家ユダヤ人たちのほとんどは、イエスを救い主だとは信じていない。また、ユダヤ教では、対象がイスラエルの民、国という視点である。一方で、キリスト教は、国や世界を無視しないながらも、救いについては、個人に重点がおかれている。

石のひとりごと

イスラエルは今戦争をしている。イスラエルの旗のもと、壮絶な破壊と、多くの命が失われている。イスラエルも敵にとりかこまれ、人の間にも多くの死者が出ている。息子や娘を失い、慟哭の中にいる家族たちがいる。この痛み、混乱をどうしたらいいのか、人間にはもうわからなくなっている。

そうした中で、イスラエルの民が今、個人個人ではなく、民として共に神、主の前に出てへりくだって、祈っている様子に、今年はいつになく、感動した。

ユダヤ人たちは、神の前に、人類の代表、祭司のようなものだと思う。そのイスラエルを憎む世界は、まさに神がみえていない世界なのだろう。

この戦争に主はどういう結果を計画されているのだろうか。私たちには全部見えないが、主がこの民を見捨てることはないということだけは確信できる。

わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。

今や、わたしはこの所でささげられる祈りに目を留め、耳を傾けよう。今、わたしは、とこしえまでもそこにわたしの名をおくためにこの宮を選んで聖別した。わたしの目とわたしの心は、いつもそこにある。

(第二歴代誌7:14-16 ソロモン王がエルサレムに神殿を建てた時の祈りへの神の応答の一部)

石堂ゆみ

ジャーナリスト、元イスラエル政府公認記者、イスラエル政府公認ガイド、日本人初のヤド・ヴァシェム公式日本語ガイドとして活動しています。イスラエルと関わって30年。イスラエルのニュースを追いかけて20年。学校・企業・教会などで講演活動もしています。