大混乱の9月2日イスラエル国内:死亡米国人人質ハーシュさん・エルサレムに埋葬 2024/9/3

Protesters rally in favor of a hostage deal in Begin Street in Tel Aviv, September 2, 2024. (Sue Surkes/The Times of Israel)

国内ストで混乱の午前中

1日、ガザでイスラエル人の人質6人がもう少しというところで殺害され、無言の帰国となった。イスラエル中が慟哭の底に落ち込み、人質救出より軍事作戦を優先したネタニヤフ首相とその政府に対し、怒りが爆発。早く交渉して、まだ生存している人質を取り戻すよう訴える大規模なデモが全国で発生した。

Protesters rally in favor of a hostage deal in Begin Street in Tel Aviv, September 2, 2024. (Sue Surkes/The Times of Israel)

さらに、2日朝からは。ヒスタデルート(国内最大の労働組合・72万5000人加盟)が全国でのストを決行した。

大手企業200社、ベングリオン空港や小中高校など教育機関や、一部地方自治体、銀行、一部の公共交通でも機能が停止し、国内は大混乱となった。

ネタニヤフ政権の右派政治家たちは、特にスモトリッチ経済相は、戦争で特に経済を守らなければならない時に、それを停止するこのような動きは、シンワルの思う壺だとして、裁判所に直ちにこのストを差し止めるよう申し立てた。

さらには、ストで生じた賠償をヒスタデルートに対して申し立てをする集団訴訟についてまで言及した。

市内では、逆に、右派組織がヒスタデルートに抗議し、エルサレムの首相官邸への入り口を一時封鎖する事態となった。過激右派政党のベン・グヴィル氏もデモに参加していた。過激右派勢の中には、ヒスタデルートのバル・デービッド代表の自宅前で抗議するグループもあった。

これを受けて、テルアビブの労働裁判所は、スト参加者に直ちに職場に復帰するよう命じ、ヒスタデルートに対しては、午後2時半までにストを終わらせるようにとの判決を下して指示を出した。夕方までには落ち着いたとみられる。

www.timesofisrael.com/court-shuts-down-histadrut-strike-accepting-government-claim-it-was-political/

ハーシュ・ゴールドバーグ・ポーリンさん(23)エルサレムで埋葬:数千人が参列

犠牲者のハーシュさんとその母レイチェルさん

国内の混乱は落ち着き始めた2日4時からは、殺された人質6人のうちの一人、アメリカ系イスラエル人のハーシュ・ゴールドバーグ・ポーリンさん(23)の葬儀が、エルサレムで行われた。

ハーシュさんは、アメリカの市民権も維持しているイスラエル人である。10月7日のノバ・音楽フェスにいて、ハマスに拉致された。この時、手榴弾にあたって、左上腕を失っていた。

その状態で、政府に早く交渉に応じるように訴える様子がビデオに撮影されて、両親の元に送られていた。それから329日後、ハーシュさんは、他の5人の人質とともに、1日、至近距離で何度も撃たれて死亡した。

ハーシュさんの両親は、バイデン大統領、ローマ法皇に会うなど、非常に熱心に、ハーシュさんらイスラエル人の人質の存在とその救出を世界に訴えてきた。

その願いが届かず、ついにハーシュさんと両親に会えないままこの世を去ったということである。世界的にも象徴的なケースとなった。

家族たちは、1日、共に集まって、ろうそくを灯し、ハーシュさんを思う時をもち、翌2日4時に、ハーシュさんをエルサレムの墓地(オリーブ山ではない)に葬った。ハーシュさんの家族親族友人たちと、ハマスに殺された人の家族たちと、数千人が集まった。ヘルツォグ大統領も出席した。

ハーシュさんの母親レイチェルさんは、死ぬまでハーシュさんとともにいたとみられる5人が、支えあっていたことに慰めを語っている。またハーシュさんに対し、共にいた間に、あなたを傷つけたことや無視したことがあったなら、どうか赦してほしいと家族としての思いを語った。

ヘルツォグ大統領は、国を代表して、10月7日の大惨事から守れず、また無事に連れ戻ることもできなかったことを謝罪すると述べた。

「ハーシュ、これまでずっとあなたのことを心配し続けるという拷問の中にいました。こんな惨めは感じたことがないような思いでした。・・でもついに、ついにあなたは今解放された。これからはどうか、私たちが壊れないように見守ってください。」と悲壮なメッセージを語った。

なお、1日にハーシュさんと同じ時に殺されたカーメル・ガットさんは、2日、生まれ育ったガザ国境のキブツ・べエリに葬られた。こちらはプライベートな葬儀だったとのこと。

www.timesofisrael.com/we-all-failed-you-heartbreak-at-funeral-for-hersh-goldberg-polin-in-jerusalem/

6人死亡の後・12歳元人質少年が父親の解放を訴え

ガザで人質6人が殺害されたあとの2日、元人質で、11月に人質交換で解放された12歳の少年、エレズ・カルデロン君が、父親のオフィルさんへのメッセージとその解放を訴えるビデオをインスタグラムに発表した。

エレズ君は、10月7日、キブツ・ニール・オズの自宅から、父のオフィルさんと、姉のサハルさん(16)とともに拉致された。エレズ君とサハルさんは、11月の人質交換の時に解放されたが、父のオフィルさんは、今も戻っていない。

エレズ君は、ハマスが来た時のことを語っている。一家は、最初、地下の防空壕に逃げたが、その後、窓から出て、安全なところへ行こうとした時に、ハマスに捕まった。最後に父を見た時、父は、殴られて血まみれになり、テロリストの前で膝をついていたという。

家族で唯一無事だった母親は、ラジオに人質の解放を訴えたことから、その声が、ガザでも聞こえたという。それを思い出して、今、もちかして父が見てくれるのではと思い、このビデオを発表したとのこと。

石のひとりごと

6人の死亡を受けて、まだガザに家族が人質になっている人々の痛みとあせりはさらに深まったことだろう。

生きていてほしいと願う、せめて生きているうちに、家族からのメッセージを聞いてほしい、その思いが12歳の少年エレズ君の訴えに現れている。

以前被災したキブツ・ニール・オズに取材に行った時、エレズ君のお父さん、オフィルさんの写真が貼ってある家を記憶している。真っ黒に焼け落ち、破壊されきった家だった。

まったく平和な祭日の朝を襲った地獄である。オフィルさんの無事と早期解放を祈る。

それにしても、この10月7日は、仮庵の祭りの最終日で、主を思う安息の日であった。よりにもよってその日に、ハマスが来るなど、どう理解すればよいのか。ユダヤ人には、本当に大きなチャレンジである。

石堂ゆみ

ジャーナリスト、元イスラエル政府公認記者、イスラエル政府公認ガイド、日本人初のヤド・ヴァシェム公式日本語ガイドとして活動しています。イスラエルと関わって30年。イスラエルのニュースを追いかけて20年。学校・企業・教会などで講演活動もしています。