元人質エリ・シャラビさんが語る創世記12章:人の祝福になるということ 2025.11.13

Eli Sharabi was abducted from his home in Kibbutz Be’eri during the Oct. 7, 2023 attack and survived 491 days in Hamas captivity. (photo credit: BLAKE EZRA PHOTOGRAPHY)

2023年10月7日に、キブツ・べエリの自宅からハマスに拉致され、約1年4ヶ月、491日後の2025年2月8日に解放されたエリ・シャラビさん(53)。

その回顧録をまとめた「人質」という本が、イスラエルで10万部売れるベストセラーとなり、その後、アメリカのタイム誌が選ぶ2025年に読むべき100歳冊の中にも選ばれた。

www.ynetnews.com/culture/article/rjnyfwgx11e

地下トンネルで自分は何なのか?と問う日々

The heavily rehearsed handover from Hamas to the Red Cross on Feb. 8, 2025. Abdel Kareem Hana—AP

エリさんは、拉致されたあと、52日間は、ガザの家に拘束されていた。その間、他の人質と手足を縛られ、トイレに行くときも一緒に行かなければならなかった。

定期的に服を全部脱がされて、何も危険がないことを確認されるなど、人としての尊厳はまったくない状態だったという。

その後、モスクを通り過ぎて、地下50メートルのトンネルに連れて行かれた。地下トンネルは、暗闇で、虫やネズミが這うような場所で、非常に少ない食料で、空腹と戦わなければならなかった。まさに地獄に下る様相だった。

暴力を振るわれ、肋骨が折れて、2ヶ月に間、助けがなければ立てない時期もあった。地下では、後にハマスに殺されることになる、ハーシュ・ゴールドバーグさんなど数人の人質と一緒だったという。

この1年半近くの間、地下の暗闇で、自分は一体なんなのかと問う日々だったという。何もない。全く何もない。ただ生きているだけなのである。自分とはなんなのかと、問う毎日だった。

家族もいない。もはや、家族があっての自分ではない。ただ自分がいるということなのである。自分は何なのか。

エリさんは、そこで、まず、自分が生きているということを見出したという。だれかで定義する自分ではなく、自分がいるということ、そのものに意味があるということである。そこにいるというだけで祝福なのだということである。

ユダヤ教の土台である聖書の創世記12:2には、神がアブラムに約束した次のようなことが書かれている。

主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。(創世記12:1、2)

しかし、この状態でいったいどのようにして、祝福となることができるのか?この問いに対し、エリさんは、まず自分が存在しているということの祝福を自覚することが、他者への祝福のスタートラインになるとわかったと語っている。

絶望しかない地下トンネルでは、仲間とともに、なんでもいいから、感謝することを語り合ったという。過去を思い出しての感謝。小さなことを思い出して語り合う。互いの存在が、互いの祝福になったことを実感したという。

解放される前は、アロン・オヘルさんと一緒になり、父親のような存在となっていた。今年2月8日にエリさんが解放されると言われた際、そのリストにアロンさんの名前はなかった。

アロンさんは、パニックになり、泣き崩れたという。解放の喜びより、アロンさんのことが心配でならなかったと語る。*アロンさんは、最後に解放された20人の1人として解放されている。

そうして、エリさんは、解放された時に、妻のリアンさん(48)と、2人の娘、ノヤさん(16)と、ヤヘルさん(13)が、10月7日の時点でハマスに殺害されたこと、兄弟のヨッシさんは、拉致された後に殺害されたことを知ることになったのである。

しかし、エリさんが、そのことで、崩れてしまうことはなかった。

悩んでももう彼らは帰ってこない。ならば、自分が与えられた人生を精一杯生きていくことこそが、死んでしまった家族にとって最善だと考えている。

March 5, 2025. (White House/X)

エリさんは、解放後、ひと月にもならない3月5日、トランプ大統領に会った。その後、国連などさまざまなところで、証言し、残された人質が解放されるよう訴え続け、

人質の家族にとっての希望になった。回顧録も書いた。

 

そうした中、今、知り合った、セラピストのヤアラ・クリスピルさんと今はパートナーとなり、新たな関係に生きようとしている。2年前には、考えもしなかった新しい人生を歩み始めているということである。

www.cbsnews.com/news/freed-hamas-hostage-eli-sharabi-on-rebuilding-his-life-after-491-days-in-captivity/

www.jpost.com/israel-news/article-872114

www.ynetnews.com/article/h1sir00caeg

石のひとりごと

自分がいるということの意味、それだけでまずは祝福であることを自覚するという点に、感動を覚えた。

私たちはとかく、自分の価値を他者の中でどれだけ愛されているのか、どれだけ貢献しているのかなどで決めがちである。海外で多くを過ごした経験からすると、日本文化は特にその傾向が強いように思う。

人にどうみられるかが、非常に重要な文化である中、高齢者はできるだけ若見えを目指し、役に立たなくなるともはや不要な者になったような気がする。人の世話になることを、極端に恐れるのはそのせいかもしれない。

しかし、私たちは、創造主によって創造された。自分で生きているのではない。存在そのものがすでに祝福であるということなのである。

人の役に立っている、何か功績をあげてはじめて祝福になっていると自覚している限り、他者もそう見ていることになる。役に立たない人は祝福とはみなさなくなってしまう。

エリさんが言うように、自分がいるということの祝福を自覚することが、他者にとって祝福になる原点になるということなのである。その原点は、やはり創造主を知っていること、その救い主を知っていることによるのかもしれない。

またエリさんが、全てを失った後、後ろを見るのではなく、前を見ていくことこそが、失われた家族にとって一番良いことだと言っていることから、ダビデ王を思い出した。

ダビデ王は、人妻であるバテ・シェバとの関係、明確に罪と示された関係で生まれた子が病気になったとき、神に遠慮することなく、断食をして癒しを祈った。しかし、7日目にその子は死んでしまう。

するとダビデ王はさっさと断食をやめて、食事をとるのである。さすがに周囲は驚いたが、ダビデは次のように言った。

「子どもがまだ生きている時に私が断食をして泣いたのは、もしかすると、主が私をあわれみ、子どもが生きるかもしれない、と思ったからだ。

しかし今、子どもは死んでしまった。私はなぜ、断食をしなければならないのか。あの子をもう一度、呼び戻せるであろうか。私はあの子のところに行くだろうが、あの子は私のところに戻っては来ない。」第二サムエル12:22-23

こうした発想は、ホロコーストを経験したユダヤ人サバイバーの中にもみられる。ホロコーストサバイバーや、エリさんほどの大災難を受けた人がこの考え方で立ち上がっているということである。

無論、イスラエル人すべてがこんな考え方ができるわけもなく、苦しんでいる人は決して少なくない。しかし、エリさんの本がベストセラーになっていることからも、この生き方に感動する人も少なくないのだろう。私たちにとっても、将来の備えになるのではないかと思う。

エリさんのために、遺体で戻ってきた人質の家族たち、戦争で心身に障害を負ったイスラエル人たち、その家族たち。

深すぎる喪失の苦しみに苦しんでいるイスラエル人々のために、主にある自分の存在の祝福を発見して立ち上がっていけるようにと祈る。

石堂ゆみ

ジャーナリスト、元イスラエル政府公認記者、イスラエル政府公認ガイド、日本人初のヤド・ヴァシェム公式日本語ガイドとして活動しています。イスラエルと関わって30年。イスラエルのニュースを追いかけて20年。学校・企業・教会などで講演活動もしています。