目次
ハマスが遺体4人を静かに返還:第一段階33人の人質解放終了
イスラエルにとっては、人質引き渡しの際の見せ物的ショーや、シリ・ビバスさんの遺体を取り間違うなど、ハマスの非人道性は、受け入れられるものではない。
これに抗議を表明し、イスラエルがパレスチナ囚人602人の釈放を中止したことから、このまま交渉が頓挫し、戦闘に戻るのではないかとの懸念が広がっていた。
しかし、ハマスは、第一段階で解放する33人のうち、まだ残っていた最後の4人の遺体を、静かに返還すると発表。ただし、同時進行で、パレスチナ囚人602人を釈放するよう、要求した。
イスラエルはこれに合意し、とりあえず、停戦崩壊の危機は回避された形となった。
しかし、明後日3月1日(土)には、第一段階が終了する。第二段階については、まだまとまっておらず、第一段階が延長される可能性が高いと見られている。
今週、中東を訪問する予定と言っていた、アメリカのウィトコフ中東特使は、今週ではなく、来週に訪問すると言っている。決定した日付はまだないとのこと。
遺体で帰国した4人の身元特定完了
新たに返還された4人の遺体は、2月27日夜中の午前1時半に、ショーなしに静かに赤十字に引き渡され、ラファ検問所で、イスラエル軍に引き渡された。間にエジプトの調停があったとのこと。
そこで小さな宗教儀式が行われ、テルアビブの国立法医学研究所へと搬送された。
人々は沿道でイスラエルの旗を振って、敬意を表した。27日朝10時過ぎになり、4人全員の身元の特定が完了したと発表された。以下の四人である。
シュロモー・マンソールさん(85)
シュロモーさんは、キブツ・キスフィムの自宅でハマスの襲撃を受け、10月7日の時点で殺害され、遺体で拉致されていた。
妻のマザールさんは、なんとか逃げることができていた。
イツィク・エルガラットさん(69)
イツィクさんは、キビツ・ニール・オズにいた時に、ハマスの襲撃を受けた。防護室へ逃げ込んだが、ドア越しに銃撃され、手を負傷した。
イツィクさんは、元アシュドド警察司令官だった兄弟ダニーさんに電話し、「もう終わりだ」と言っていたという。デンマークとの二重国籍で、子供たちはデンマークに住んでいる。
ツァヒ・イダンさん(50)
ナハル・オズの自宅にいた、ツァヒさんとその妻、ガリさんと子供たち5人は、ロケット弾とサイレンの中、防護室へ逃げこんでいた。
ハマスが来て、「扉を開けろ」と言いながら銃撃し、長女マヤンさんが当たって、ツァヒさんの腕の中で死亡した。その後ツァヒさんはパニクってしまい、何もできなくなったという。ハマスは、ツァヒさんだけを拉致して行った。
オハッド・ヤアロミさん(49)
キブツ・ニール・オズの自宅に、ハマスが来た時、妻のバットシェバさんと、長男エイタン君(12)、ヤエルさん(10)と幼児1人を防護室へ入れたが、鍵がなかったため、オハッドさんだけ部屋の外で護衛についた。
その後、ハマスと銃撃戦になり、オハッドさんは足を撃たれた状態で拉致された。
バトシェバさんと2人の娘、エイタン君は別々に拉致されたが、途中でイスラエル軍戦車と遭遇し、混乱の中、バットシェバさんと2人の娘はパジャマのまま、3時間以上走って、別のキブツで保護された。エイタン君は、その約2ヶ月後の交渉の時に解放されて、戻ることができた。
パレスチナ囚人602人釈放開始
今回の交換は、前の4人の遺体との交換になるはずだった602人の釈放なので、ハマスは。新たな4人の遺体と同時釈放を要求していた。
イスラエルはこれを拒否したが、人質4人が静かに赤十字に引き渡されたことを確認するとすぐに、先に釈放が予定されていたパレスチナ人の釈放を開始した。
37人は、ラマラへ、5人は東エルサレムの自宅へ搬送された。殺人テロリストなどの重刑者97人は、国外追放となりエジプトへ搬送された。
この中には、2014年に10代少年が拉致されたが、それに関与していたほか、複数のテロに関わって42年間の禁固刑になっている者が含まれていた。
ハマスの爆発物エキスパートで、32年の禁錮計を言い渡され、29年目一度出所し、またテロに戻り、逮捕された者もいる。再度の逮捕では、前より重い終身刑を2回を言い渡され、イスラエルの刑務所で7年目になっていた。まさに筋金入りのテロリストである。
この数時間後には、400人以上のパレスチナ人のガザへの搬送を開始した。また、イスラエルは、シリ・ビバスさんの遺体だと言って、送りつけてきた別人の遺体を、ガザへ送り返したとのこと。