人質が直面していた地獄:元人質エリ・シャラビさん(53)の証言 2025,3.1

イスラエルとハマスの停戦が崩壊するかもしれないというギリギリの交渉が進む中、2月27日(木)、最近解放された元人質のエリ・シャラビさん(53)が、イスラエルのテレビで、インタビューを受け、全国に放送され、世界にも流された。

人質がガザでどんな様子だったか、今どうしているのかなどは、解放された人質の心理的な状況から、直接報道されず、家族経由で情報が、散発的に出てくる程度である。

しかし、エリさんは、自身の口からそれを語っている。

トンネルの中での飢えの現実

エリさんは、拉致された後、最初52日は家の中にいて、その後、トンネルに連行され、解放までそこにいたという。トンネルでは救助活動は不可能だとわかっていたと語っている。

エリさんによると、ガザにいる間中、鎖に繋がれ、暴行を受け、飢えに苦しめられていた。エリさんは、解放時、体重の40%を失っていた。飢えというものの現実をリアルに語っている。

「冷蔵庫を開けて食べ物があるということがどういうことか、みなさんはもう一度考えるべきだ。それは、全世界そのものだ。

冷蔵庫を開けて、果物や野菜、卵や水、パン1枚を取り出す。これは、まさに自由な世界の象徴なのだ。これが毎日夢見ていたことだった。殴られることも、殴られて肋骨が折れることもどうでもよかった。ただピタパン半分をくれということだけだった。

飢えがどんなものか説明を求められると、「胃が背中にくっついているようだ。胃は縮んでいく実感があって、それが自分の体に起こっているとは信じられなかった」と答えた。

与えられた食糧は、1日に一回、寝る前に器に入ったパスタで、250-300カロリーぐらいだった。これは体が必要とするカロリーの10分の1だ。

それが1日や2日なら問題はないだろう。しかし、それが半年も続くのだ。もっとくれと頼むと、なつめやしを1個投げてきた。まるで最高の食事だった。そんな小さいことが救いだった」

エリさんは、わずかにもらったピタパン半分を一緒にいた4人と分け合い、夜をすごしたことも語っている。

エリさんによると、ハマスによる、こうした拷問は、パレスチナ囚人が、イスラエルの刑務所で酷い扱いを受けたなどの情報が入った時や、イスラエルの政治家の過激な発言があった時に、悪化したという。

エリさんは、政治家たちは発言に気をつけるべきだと言っていた。これは他の人質からも出ていたことである。

まだ一人残されているアロン・オヘルさんへの思い

エリさんは、人質になっていた間、アロン・オヘルさん(24)とやはり最近解放されたエリヤ・コーヘンさん、オール・レヴィさんと4人一緒だったという。

特にアロンさんとは、24時間、365日、ずっと一緒だったので、彼を養子にすると言うほどに、2人の関係は深くなっていた。

エリさんは、また、トンネル内で殺された、ハーシュ・ゴールドバーグさんたち3人とも3日間だけだが、一緒だったも語っている。この時ハーシュさんが、「“なぜ”があれば、“どのように”は必ずある」と言ったことに励まされたのこと。

エリさんは、解放された時に、初めて、10月7日に、妻と2人娘を殺されていたことを知った人である。兄弟のヨシさんは、拉致されたあと、イスラエルの空爆で死亡したとみられている。

相当なことだが、それよりも今、エリさんが、今最も気にしているのは、今もガザに、一人でいる人質、アロン・オヘルさん(24)だと語っている。

ハマスは、2月8日、アロンさんだけを残して、エリさんと、他の2人を解放したのである。解放当日、アロンさんは、エリさんにしがみついて離れなかったという。今アロンさんは、一人になっている。

エリさんは、その時の辛さを思い、なんとしても、アロンさんを助けなければならないと考えている。

www.timesofisrael.com/recently-freed-hostage-recounts-extreme-hunger-gut-wrenching-farewell-to-still-held-captive/

石堂ゆみ

ジャーナリスト、元イスラエル政府公認記者、イスラエル政府公認ガイド、日本人初のヤド・ヴァシェム公式日本語ガイドとして活動しています。イスラエルと関わって30年。イスラエルのニュースを追いかけて20年。学校・企業・教会などで講演活動もしています。