5月30日は、1972年に日本の過激派である赤軍派3人が、イスラエルのロッド空港で、銃乱射のテロを行い、26人(プエルトルコ人17人、イスラエル人8人、カナダ人1人)を射殺、80人を負傷させた日である。今年は49年目になる。
民間人へのこれほどに大規模なテロは初めてであったとのことで、かつて世界中から大きな非難をあびた事件である。記念日となるこの日、イスラエルのメディアには、この件が時々登場している。
事件当時、日本赤軍派は、まだ正式には赤軍派として発足していたわけではなく、PFLP(パレスチナ解放人民戦線)への義勇兵としてこのテロ事件を起こしたといわれている。この事件の後、赤軍派幹部の重信房子が、PFLPとともに、正式に日本赤軍派という名称を発足させた。
犯行に及んだのは、奥平剛士(当時27)、安田安之(当時25)と、岡本公三(当時25)。3人はエールフランスでテルアビブに到着し、空港内で乗客や、空港職員などに向けて、自動小銃を乱射した。このうち、奥平と安田は、この時に死亡したが、岡本はイスラエルの警察に拘束され、終身刑となった。
しかし、それから13年後の1985年にPFLPとの捕虜交換として、イスラエルから釈放され、レバノンに移動した。日本は、この直後から国際警察機構を通して、岡本を国際指名手配においた。
それからさらに13年後の1997年、岡本を含む日本人5人が、レバノンで禁錮3年とされる。それが開けた2000年、4人は日本へ強制送還されたが、岡本だけは、レバノンに亡命することを求め、認められた。
岡本は、70歳を過ぎた今も、レバノンに在住している。レバノンでは、パレスチナ人や、レバノン人(もしかしたらヒズボラ?)から、今もアラブの英雄と見られているとのこと。日本に帰国すればテロリストとして刑務所に入らなければならないので、帰国はしないとみられる。
しかし、2019年に、日産との問題で同じくレバノンで亡命しているカルロス・ゴーンが、日本での裁判のために強制的に引き戻されるともいわれた。この時、岡本もひこもどされるのではないかともいわれたが、結局、そうはならならなかったので、岡本は今もレバノンにいる。
なお、日本赤軍派は2001年に解散している。重信房子は、2000年に、潜伏中の大阪で逮捕され、パレスチナ問題や、ハーグ事件(フランス大使館選挙事件)問題で、有罪、懲役20年とされた。今も服役中だが、来年2022年に出所予定とのこと。来年はロッド空港事件から50年でもあり、話題になることだろう。
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筆者が、最初にイスラエルに滞在のために入国したのは1989年。岡本がレバノンへ移動してから4年後である。当時は、日本人といえば、まだロッド空港でのこの事件の印象が強く、日本人であるというだけで、ビザの取得に手間取ったことを覚えている。
今の日本人からは想像もできないような昭和の一幕であった。