2024年5月に閉鎖されたラファ検問所は、今年2月2日(月)、1年9ヶ月ぶりに、公の通過が可能となった。(その後も医療問題などの必要に応じて、ガザから出た人はいた。)
しかし、初日に通過が許可されたのは、ガザからエジプトへ出た12人(負傷者5人とその同行者7人)と。ガザへ戻ったガザ住民12人の計24人だけだった。
この日、ガザへ戻りたかった人は42人だったので、30人は通過できず、エジプトへ戻ったということである。
初日にガザへ戻った12人(女性と子供、高齢者)だった。
ガザへの帰還希望者で、イスラエル軍による厳しい調査をクリアした人たちが、朝6時に、ラファ検問所に集まった。書類手続きが完了したのは午前10時ごろ。
しかし、実際にゲートが開いたのは、午後6時で、中へ入れたのは、今回の12人が乗ったバス1台のみだった。後の人はそこまでで結局はガザへは入れなかったということである。
この時、持って入れるのは、衣料が入ったカバン一つで、持ち込める現金は、2000シェケル(10万円)まで。空港と同様、水分は持ち込めないとされていた。
そこから、イスラエル軍の管轄地域に向かい、そこで、厳しい尋問を受けた。尋問したのは、イスラエル軍ではなく、ガザの反ハマス民兵組織(故ヤセル・アブ・シャバブ代表)だった。
12人のうちの一人、昨年3月に、医療目的で母親とともにガザを出て、今回、母親とともにガザに戻った女性、ロタナ・アル・レゲブさんは、検問所での、厳しく尋問され、脅迫もされたと訴えている。
レゲブさんによると、“屈辱の部屋”に、一人ずつ連れていかれ、そこで、目隠しと両手は後ろ手に手錠をかけられた体制で、ハマスについてなど、厳しく尋問されたと語っている。イスラエルへの協力も求められたが拒否したと語っている。
その後、再度EU担当者による持ち物検査で、親族にと用意していた土産物で没収されたものもあるとのこと。
レゲブさん母娘は、その後ガザに入った後、国連のバスでハンユニスのナセル病院へ向かい、3日(火)午前1時に到着したとのこと。
病気治療などの理由で、ガザを離れた人は約11万人。大使館関係者情報として、伝えられているところによると、このうちすでに3万人が、ガザへの帰還を申請しているとのこと。
石のひとりごと
ガザはもう崩壊状態だが、それでも戻ることを希望する人がこれほどに多いことに驚かされた。
中にまだ家族がいるのだろうが、やはり土地と人とのつながりというものは、深いのかもしれないと思った。
