11日夕刻から12日(土)日没までヨム・キプールの間、ヒズボラは、イスラエル北部のガリラヤ地方、アッコ、ツファットやハイファ地域に向けて、320発ものロケット弾を発射した。住民たちは、ヨム・キプールをシェルターで過ごすことを余儀なくされた。
ロケット弾のほとんどは迎撃されたか、空き地に着弾するなどして、イスラエル人に死傷者は出ていない。
しかし、11日、イスラエル北部のキブツ・イーロンで働いていたタイ人(27)が、不発弾が爆発して死亡した。もう一人も負傷した。
ハアレツは、死亡したタイ人をニサン・ミーラムさん(42)として報じると共に、タイ人たちが、キブツから住民が避難して、ケアができなくなっているりんご畑で働いていたと報じている。ミーラムさんが死亡したことを受けて、タイからの労働者も全員がティベリアのホテルへ避難したとのこと。
この他の地域では、通常とほぼ変わりないヨム・キプールだった。テルアビブでもビジネスは、ほぼ停止し、おおよその大人は断食していたとみられる。道路を走る車もほとんどない。
空っぽの道路では、自転車を乗り回すこどもたち。しかし、脱水はじめ、交通事故など、いろいろな問題で救急車も3000回以上出動と、これも毎年の光景であった。
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一方、イスラエル軍は、北部ヒズボラへは200カ所以上を攻撃。またヒズボラの武器を破壊する目的で、シリア国境付近への空爆も行われた。南部ガザでも80カ所を攻撃し、戦闘で兵士1人が戦死した。
この日1日の間に発生したヒズボラとの直接銃撃戦で、ヒズボラ50人が死亡した。