ビバスさん母子葬儀:沿道に群衆「スリハ(ごめんね)」と 2025.2.27

Yarden Bibas covering the coffin of his wife Shiri and sons Ariel and Kfir during the slain hostages' funeral near Kibbutz Nir Oz, February 26, 2025. (Eitan Uner/Hostages and Missing Families Forum)

先に返還された4人の遺体の身元が確認されたところで、それぞれの葬儀が行われた。葬儀はユーチューブでだれでもが参加できる形で生放送されていた。

ビバス・シリさん(32)とアリエル君(4)、クフィル君(9ヶ月)は一緒に

ビバス・シリさんと2人の子供たちの葬儀は、2月26日(水)に行われた。

3人は、ガザの人質の象徴のような存在であり、イスラエル社会全体に、深い落胆と悲しみをもたらしている。

シリさんと2人の子供たちは、ずっと一緒にいられるよう、3人一緒に、キブツ・ニール・オズの近くの墓地に一緒に埋葬された

葬儀はキブツで行われたが、数万人ともみられる人々が、60キロ離れたリション・レチオンからキブツまでの高速道路にそって、イスラエルの旗を振り、敬意を表した。人々の中には、「スリハ(ごめんね)」と書いたプラカードを持っている人もいた。

中にはオレンジの風船をつけている人がいるが、これは、アリエル君とクフィルちゃんが2人とも赤毛であったことから、彼らを覚えようとするものである。

葬儀では、家族でたった一人生き残ったヤルダン・ビバスさんが、シリさんへの深い愛と、「あなたなしにどうやって決断したらいいのか。悪い決断しないように守ってほしい。僕が暗闇に沈んで行かないように守ってほしい」と語った。

またアリエル君、クフィルちゃんそれぞれにも、いろいろな思い出話と感謝を語り、守ってやれなかったことへの謝罪を表明していた。

Flowers cover the grave of Shiri, Ariel and Kfir Bibas at Zohar near Kibbutz Nir Oz in southern Israel on February 26, 2025. (Photo by Jack GUEZ / AFP)

葬儀では、ビバスさん夫妻の思い出の曲3曲が流されたが、その詩が今の状況を示唆するような内容であったのこと。

たとえば、「今日は一人で目が覚めました。すべての鳥が飛ばしたために。この空っぽの家の中で。もはや家のように感じない。慈悲の天使はいない」などである。

ヤルダンさんの妹レヴィさんは、甥っ子たちがいないことへの寂しさを語りとともに、この悲惨なことは起こるべきではなかったと、政府を非難し、「政府は、あなたたちを助けることができたが、復讐を選んだ。でも勝利せずに負けた。命は常に最優先されるべきであり、誰も置き去りにするべきではない」と語った。

シリさんの家族は、一家のほとんどを失っている。シリさんの父親、ラミさんは、10月7日にハマスに殺害され、兄のエラッドさんは、拉致されてから死亡。母のハナさんは人質となり、ひと月後に解放されたが、約1年後に死去した。

Shiri Bibas’s sister Dana Silberman-Sitton February 26, 2025. (Screen grab/GPO)

葬儀では、家族の中で一人、生き残ったシリさんの妹ダナさんが、アリエル君たちに、よき叔母になりたかったと語りかけた。

また、シリさんも、彼らを助けなかった国、そこにおらずに助けられなかった軍、またこれほど長い間、彼らをガザにおいていたことを、彼らに代わって謝罪すると言っていた。

www.timesofisrael.com/ballads-from-bibas-family-soundtrack-play-at-funeral-of-shiri-ariel-and-kfir/

国への不満:エルサレムの首相官邸前での訴え

Tel Aviv on February 26, 2025, on the day of their funeral procession. (Photo by Ahmad GHARABLI / AFP)

ネタニヤフ首相とその右派に支えられる政権は、これまでどちらかというとハマスを殲滅することを優先し、人質奪回は二の次になっていたというのが、市民たちの間での理解となっている。

これに反発するか、しかたないと考えるかは、それぞれの考えである。

エルサレムの首相官邸前では、ビバスさん一家の葬儀に合わせて、国の方針に怒りを覚えている人々が、アリエル君たちを象徴するオレンジ色の風船を持ち寄り、これをそれに飛ばして、まだガザにいる人質奪回を最優先するようにと訴えた。

同様のデモはテルアビブでも行われていた。(写真)

オデッド・リフリッツさん(83)葬儀:キブツ創設・ガザとの平和を目指した人への敬意

(Paulina Patimer/The Hostages Families Forum Headquarters); inset: Oded Lifshitz (Amiram Oren)

オデッド・リフシッツさん(83)の葬儀は、2月25日(火)に、自宅があったキブツ・ニール・オズに葬られた。

オデッドさんは、70年前にこのキブツを創設した一人であった。キブツのサボテンたちは、オデッドさんが心込めて世話していたという。

数千人のイスラエル人が、葬儀に向かう車列を道路脇で見送った。

妻のヨケベデさん(86)は、オデッドさんと一緒に人質になったが、2週間後に解放され、帰国していた。葬儀では、息子のイズハルさんが、テロ攻撃の時にそばにおらず、助けられなかったことを謝罪していた。

Former hostage Yocheved Lifshitz (right) with her daughter Sharone Lifschitz,

オデッドさんの娘のシャロンさんは、オデッドさんが、ガザとの平和のために努力していたのに、そのガザから来たハマスに殺されたことについて、「私は全く後悔していない。

満足と誇りを感じている。道徳と社会正義を訴えた預言者(オデッドさんのこと)に続いていくことを教えられている」と語った。

葬儀には、ヘルツォグ大統領はじめ、駐イスラエルのドイツ大使、イギリス大使、ポーランド大使も出席していた。大使たちは、オデッドさんが、平和活動家で、ガザの人々を助ける働きをしていたのに、ハマスに殺されたことを覚えての声明を出していた。

www.timesofisrael.com/we-fought-for-peace-were-attacked-by-those-we-helped-yocheved-lifshitz-parts-from-oded/

石のひとりごと

ユダヤ人が直面する苦難の大きさは、本当に度を越していると思う。選ばれた民というのは、苦しみながら、主を証するために選ばれているということだと思う。彼らの苦しみの中に働いておられる主を私たちは、見ることができているのである。

またビバスさんたちを助けられなかったことに謝罪を感じているイスラエル人。こんな国民が他にあるだろうか。イスラエル人にとって、国もその国民も、自分ごとなのである。

イスラエル人は、政府に対する批判も遠慮なく出すが、それは、愛があるからこそであり、自分が乗っている船という感覚からでもある。私は日本という船に乗っている。彼らほど祖国と同胞への思いがあるだろうかと思わされた。

なお、日本は戦争はほとんどないが、災害がイスラエルより格段に多い。今は岩手県大船渡市での山火事が深刻になっている。死者1人、3000人以上が避難している。雨が降らないだろうか。早く鎮火するよう祈る。

石堂ゆみ

ジャーナリスト、元イスラエル政府公認記者、イスラエル政府公認ガイド、日本人初のヤド・ヴァシェム公式日本語ガイドとして活動しています。イスラエルと関わって30年。イスラエルのニュースを追いかけて20年。学校・企業・教会などで講演活動もしています。