ヒズボラのロケット弾ハイファやナザレへ200発:ヒズボラには負けないとナハリヤで結婚式 2024.9.24

(Photo: Yair Kraus)

ヒズボラのロケット弾200発:西岸地区ではパレスチナ人が死亡

23日、ヒズボラは、ハイファ周辺などへロケット弾150発発射した。数時間おきにハイファやその周辺、ナザレでも警報が鳴っている。

しかし、そのほとんどは迎撃しており、イスラエル市民はシェルターにいることから、一部建物に被害は出ても死傷者は出ていない。

一方で、ヒズボラのロケット弾10発が、テルアビブに面する西岸地区のパレスチナ人のデイール・イスティアに着弾し、少なくともパレスチナ人2人(高齢者)が死亡した。

パレスチナ人たちの家にはシェルターはない。

ヒズボラからのロケット弾はその後も続いており、2―3時間おきに、北部各地でサイレンがなっている。今のところ、イスラエル国内での死傷者の報告はない。

www.timesofisrael.com/at-least-2-west-bank-palestinians-hurt-due-to-hezbollah-rocket-attack/

レバノンとの国境で結婚式:イスラエル人夫妻

イスラエル人のアビラム・アフォタさんと、シャニ・ヴァクニンさんは、今ヒズボラのサイレンが日々鳴っている西ガリラヤ地方出身である。

2人はこの時期、ハイファで結婚式を予定していたが、ヒズボラの攻撃を受け、キャンセルを余儀なくされた。

そこで2人は、イスラエル軍による戦時下の規律を守りながら、23日、ナハリヤで結婚式を行うことにした。ナハリヤはハイファよりさらに北部で、レバノン国境から数キロしか離れておらず、日々サイレンが鳴り響く街である。

(Photo: Photo Golan Ltd.)

危険地域なので、式のデザイナーなどは協力を拒否したという。

しかし、2人はわずか12時間で準備し、23日、家族友人70人が見守る中、結婚式を行った。これはイスラエルでの結婚式からすると非常に少ない人数である。

結婚式をとりもったラビは、「今日は悲しい結婚式ではない。ここにいるべき人はみんないる。今日いない人とは、また別の日に祝えばいい。今日、ここナハリヤでフッパ(結婚式)を祝うことで、ヒズボラを見返してやるのだ。」と語った。

アビラムさんの父親は、「誰も私たちには勝てない。ナスララも勝てない。私たちと戦おうとしたことをナスララに後悔させてやるのだ。特に息子の結婚式をじゃましたことを」と語った。

シャニさんの父親と兄弟は、昨年10月から、地域の治安組織に所属しており、この週末にナハリヤへ、一時帰宅したところだった。

もう一人の兄弟は、戦闘員でガザにいたが、今はエリート部隊のゴラニ部隊の部隊長になっている。結婚式では新婚夫婦が、人質と戦場にいる兵士たちが無事帰ってくることへの願いを表明した。

シャニさんの母のアエレットさんは、「私たちは今困難な中にいるけれど、こうして今フッパの下にいる。神に感謝する。ナスララとヒズボラは、私たちからこの喜びを奪えない。これこそ、イスラエル人の強さなのです。」と語ったとのこと。

www.ynetnews.com/magazine/article/sj00ah6y0r

石のひとりごと

さすがイスラエル人という動きである。毎日大勢が死ぬニュースばかりの中で、少し力をもらった思いがした。新郎新婦たちに感謝だ。

今、日本では、能登半島のニュースに気落ちしない人はいないだろう。ずっと支援しつづけてきた能登ヘルプなどの支援者の方々も同様かもしれない。それでもメンバーは、今、被災地へ向かっているとのこと。

イスラエル人は、常に絶望と落胆の連続の歩みをしている。しかし、故シモン・ペレス前首相は、「絶望という状況はない。絶望している人がいるだけだ」と言っていた。被災した方々と支援に向かっている方々、その尊い働きの導きと祝福を祈る。

石堂ゆみ

ジャーナリスト、元イスラエル政府公認記者、イスラエル政府公認ガイド、日本人初のヤド・ヴァシェム公式日本語ガイドとして活動しています。イスラエルと関わって30年。イスラエルのニュースを追いかけて20年。学校・企業・教会などで講演活動もしています。