ハダル少佐の遺体の帰国は、イスラエル全体を揺るがした。イスラエル軍は、たとえ遺体になっても、兵士を1人も見捨てることはないという倫理、価値観を皆が、改めて共有する時となっている。

ハダル・ゴールディン中尉(当時23歳)は、クファル・サバで双子の兄弟として生まれた。兄弟はツールさんである。仲の良い兄弟で、一緒にシオニズムのユースムーブメントで過ごし、共に、西岸地区入植地、エリで従軍前訓練を受けた。
その後、ゴールディン中尉は、優れた軍司令官となり、エリートのギバティ旅団の偵察隊小隊長になった。
部下達に人気の司令官だった。2014年8月にラファで、トンネルから出てきたハマスに、一緒にいた兵士3人とともに殺害され、ゴールディン中尉の遺体だけが、拉致されていた。
イスラエル人として、理想的な歩みでもあったことから、殺害された後は、従軍前アカデミーはじめ、宗教的、世俗的に関わらず、さまざまな教育機関で、その生き方が教材としても用いられていた。
しかし、いくら英雄しされたとしても、ハダル少佐の両親、またその支援者たちは、政府が、11年もの間に、ハマスに十分な圧力をかけなかったことや、チャンスを生かしてこなかったことに対し、非難する声も上げるようになっていた。以下はその特設のページ。
www.hadargoldinfoundation.org/

今11年経って、ハダル少佐が帰国を果たすと、ネタニヤフ首相、ヘルツォグ大統領も、英雄として迎える声明を出した。
ネタニヤフ首相府は、「ゴールディン家族、すべての失われた人質家族との深い悲しみを共有する。政府はまだガザに残されている4人の人質遺体を取り戻すことに全力を尽くす」との声明を出した。
まだ残されている遺体になっている人質は、メニー・ゴダードさん(73)、ラン・ギヴリ軍曹(24)、ドロール・オールさん(48)、タイ人のスダティサク・リンサラクさん(43)である。
ベネット元首相は、「ハダル少佐は、イスラエルの基本的な価値観であるモラルのシンボルのような存在になった。私たちの国では、誰1人取り残すことはない。」と語っている。
石のひとりごと
生存する人質だけでなく、もう遺体になっているだけでなく、骨があるかどうかもわからないような年月がたっていても、なお、国は、見捨てることなく、忘れず、救出する国、イスラエル。
イスラエル人の幸せ度は、戦争2年目の今年は、さすがに8位だったが、それまでの最高では4位と、穏便平和な北欧に続く高位であった。その背景にあるのが、家族関係の良さ、友人が多いことに加え、国における自分の価値を自覚していることが挙げられていた。
イスラエルでは、祖国はここしかないということ、国民が基本的には全員が従軍すること、またまだ高校卒業したばかりの若者に、国の軍服と本格的なライフルを渡すことで、国からの信頼も感じると聞いた。
イスラエル軍では、最初に部隊で一緒になったチームは、延々と同じ顔ぶれで、招集も常に一緒になるという。苦難、また特に戦闘を共にする中で、戦友を通り越して兄弟そのものになると聞いた。
あるメシアニックの兄弟は、従軍している間は、メシアニックかそうでないかを考える前に、みながまずは兄弟だと言っていた。このように、それぞれが、自然に、国の中で、自分の価値を確信できるようになるのだろう。
今回の人質問題は、本当に大きな痛みだが、それを国民全体が、自分ごととして共有したと思う。イスラエル人はまた一歩、一致へと進んだのではないだろうか。こんな国は、まさに他にない。ここにも主の民であるしるしを思わらせられるところである。
