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ニューヨーク・カウントダウンでも反イスラエルデモ
もう3週間前になるが、2025年の新年が明ける瞬間、ニューヨーク・マンハッタン、タイムズスクエアでは、恒例のカウントダウンが行われた。
その中では、親パレスチナのデモ隊が、パレスチナの旗を掲げて、「インティファーダ革命」とか、「シオニストはガンだ」とか叫ぶデモを行っていた。また、親イスラエルのデモ隊もいた。
そのタイムズスクエアにある、タイムズスクエアチャーチ(ティム・ディレナ牧師)では、この同じ2025年の幕開けの時間、すぐ外の大騒ぎとは全く違う、イスラエルと結んでのイスラエルと中東諸国を覚えるプレイヤーミーティングをしていた。
現地にいる参加者だけでなく、オンラインで世界中からも参加者がいた。
反イスラエル主義、反ユダヤ主義が急速に拡大する中、聖書と福音に根差し、イスラエルとその周囲にいるイス
ラム諸国の目が開かれて救われるように、人種を超えて、創造主である神、主に祈る様子が、大変感動だったので紹介する。
使われている言語は、英語、ヘブライ語、アラビア語であった。
タイムズ・スクエアチャーチでイスラエルを覚える祈り集会
この教会は、オリーブ山通信でも時々紹介している教会だが、1990年代前後に、ニューヨークのマフィアたちをキリストに立ち返らせ、薬物中毒の人々を救いに導いたことで知られる故デービッド・ウイルカーソン牧師が立ち上げた教会である。
この教会からは、故デービッド・デイビス牧師がイスラエルに派遣され、北部カルメル・アッセンブリーを立ち上げている。2025年新年のプレイヤーミーティングはこの教会との協力で行われていた。
集会の始まりにあたり、ディレナ牧師は、この集会の目的は、エルサレムの平和と中東のリバイバルのために祈ることだと述べた。
また箴言17:7から、真の友はどんな時でも愛すると述べ、苦難にあるイスラエルに向かって、私たちはあなた方の兄弟姉妹だと宣言。その基盤にあるのは、神の言葉に基づくと語った。
また、ルツ記からルツは、イスラエルを通して救われた、すべての異邦人(ユダヤ人以外)の姿だと述べ、ルツが姑のナオミに言った言葉、「あなたの民は私の民。あなたの神の神」を今日、ここからの宣言とすると述べた。
しばらくの賛美の後、カルメルアッセンブリーのピーター・ツカヒラ牧師が、イスラエルからのメッセージで次のように語った。
「今イスラエルで起こっている戦争は、たんにイスラエルの生き残りとか、治安の問題ではない。これは、エルサレムと中東全体における、真理をめぐる苦しみだ。
今、世界中のクリスチャンたちが、主はイスラエルを見捨てたという考えから、聖書に立ち返って、その信仰の原点であるイスラエルのために祈るようになっている。
一方、私たちは(イスラエルは)、神の計画にイスラエルはいないと強く信じ、それにコミットしている多く国々に囲まれている。その人々は、神はアブラハム、イサク、ヤコブと契約を結んだのではないと難く信じている。その人々にとって、イスラエルの存在には、意味がないのである。
そのような中で、このまさに救い主、イエスがおられ、十字架にかけられて死に、よみがえった地、やがて終わりの時に戻ってくる地で、ユダヤ人とアラブ人が、イエスにあって一緒に祈っている。これは、世界に向けて真理を宣言しているということである。
詩篇122:6には「エルサレムの平和のために祈れ」と書いてある。2025年の祈りは、エルサレムにいるすべての人々を覚えて、平和が支配するように祈ることである。私たちは、ユダヤ人、アラブ人、レバノン、シリア、イランの人々を覚えて祈っている。
私たちは敵なる人々も愛している。ガザの人々を愛している。真理の光であるメシアが彼らの心を照らしてくれるように祈ろう。この戦争が単に終ることを祈るのではなく、何か偉大なことのめざめ、始まりになるように。
ユダヤ人のメシアであり、イエスがイスラエルと、中東全体に明らかになっていくように。平和の君であるイエスが来てくださり、私たちの心と頭を支配してくださるように。
2025年が、エルサレムと世界にとって、ブレークスルーの年となり、メシアの光が輝き始める年になるように」
ユダヤ人もアラブ人もイエスにあって一つ
集会では、元宗教的なイスラム教徒だったが、イエスにあって救われた女性と、元宗教的なユダヤ人で救われた男性が、結婚して40年という夫妻がそれぞれ祈りを導いた。
それぞれ心から発する祈りである。個人的には最も感動した祈りであった。このほか、アラブ人のユセフ・ダクワ牧師がアラビア語で祈る場面もあった。
集会ではオンラインで、イスラエルとニューヨークが一緒に聖餐式をしていた。導いたのは、カルメルアッセンブリーのユダヤ人、ダニー・サヤグ牧師であった。オンラインのおかげで世界中の人々が一緒に聖餐式をしているのである。
2025年さらに高く主を見上げよう:ディレナ牧師
ニューヨークのディレナ牧師は、ユダヤ人がヒトラーの大虐殺にも負けず、あらゆる戦争にも負けず、今も存在していることはどうしてなのかと訴え、そこに神の契約があるからだと述べた。(創世記17:7)
イスラエルの存在が、今私たちの時代に与えられている神の奇跡だと述べた。私たちは、神が愛するものを愛する、神が祝福するものを祝福すると明言した。
また、かつてアッシリア軍に攻め込まれたヒゼキヤ王が、主に目を上げたところ、わずか一人の天使が、18万5000人のアッシリア軍を打倒し、イスラエルに勝利をもたらしたことをあげた。(第二列王記19:35)
今、イスラエルは、アイアンドームという優秀な迎撃ミサイルに守られてはいるが、これからは、もっと上にある、主を見上げるしかなくなる時がくると語った。
しかし、ゼカリヤ書12章から、世界がイスラエルに敵対する中(今起こっていること)、主がイスラエルの目を開く約束があり、主が来ることになる。今見えなくても、主は確かに、働いていると語った。
2025年、ニューヨーク、イスラエル、そして、世界の教会は、はるか上をみるべきだ。主がすべての支配者であり、すべては主のものである。希望は主にある。いかに犠牲を払うことがあっても、主のみこころを行っていこうと締めくくった。(アメリカではイスラエル支援者は危険になる可能性もある)
言うまでもなく、まだ救われていない人にむかって、イエスの十字架と復活、福音への招きも忘れなかった。
詩篇46
神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。それゆえ、われらは恐れない。たとい、地は変わり山々が海のまなかに移ろうとも。たとい、その水が立ち騒ぎ、あわだっても、その水かさが増して山々が揺れ動いても。セラ川がある。その流れは、いと高き方の聖なる住まい、神の都を喜ばせる。神はそのまなかにいまし、その都はゆるがない。神は夜明け前にこれを助けられる。国々は立ち騒ぎ、諸方の王国は揺らいだ。神が御声を発せられると、地は溶けた。万軍の主はわれらとともにおられる。ヤコブの神はわれらのとりでである。セラ
来て、主のみわざを見よ。主は地に荒廃をもたらされた。主は地の果てまでも戦いをやめさせ、弓をへし折り、槍を断ち切り、戦車を火で焼かれた。「やめよ。わたしこそ神であることを知れ。わたしは国々の間であがめられ、地の上であがめられる。」万軍の主はわれらとともにおられる。ヤコブの神はわれらのとりでである。セラ
石のひとりごと
ツカヒラ牧師が言うように、クリスチャンの間でも聖書の真理につくのか、そうでないのかのふるいがかけられる時代に入っているように思う。
しかし、最近の反ユダヤ主義暴力の拡大のニュースばかりの中、世界にはこんな動きもあることをお伝えしたかった。
タイムズスクエアチャーチは、現地でもありとあらゆる人種が集まる教会である。それが今では、オンラインでさらに全世界のクリスチャンと同時に礼拝するようになっている。
ディレナ牧師によると、オンラインが始まってから、世界70カ国以上で、これまでに8800万人以上、アメリカ国内の刑務所から50万人以上が福音を聞いたとのこと。オンラインには賛否両論あるが、オンラインがなければ福音を聞かなかったような人々が、福音を聞く時代になっているということでもある。
住んでいる場所も人種も様々、どんなに違う文化であっても、世界中で、同じ聖書を読み、イエスキリストの十字架と復活によって、罪の赦しと天での永遠のいのちを受け取って、主に繋がる人々がいる。見た目も文化も違うが、兄弟姉妹だと思う。その様子に励ましを覚えずにはいられなかった。
また、非常に個人的になるが、筆者は、1989年、イスラエルに住んでいたときに救われた。その後、ニューヨークに移動してからは、タイムズ・スクエア・チャーチに通い、献身へと導かれた。タイムズスクエアチャーチでは、聖霊のあまりの臨在に、日曜日は1日中、教会ですごしたものである。
帰国後、2007年、日本の母教会から、イスラエルに再派遣していただき、しばらくカルメルアッセンブリーに通っていた時代もあった。しかし、この時、カルメルアッセンブリーが、タイムズスクエアチャーチと深いつながりがあることは知らなかった。
それがわかったのは、ほんの数年前である。タイムズスクエアチャーチでも、筆者がニューヨークにいた頃に、イスラエルの話は、ほとんど出なかった。そんな時代ではなかったのである。
しかし、今、時代が進み、イスラエルと、タイムズスクエアチャーチがつながっている。終わりの時代が近づいていることと、自分の人生に大きな影響を与えてくれた2つの存在が一緒になっているのを見て、感動せずにいられなかった。主の導きと、その一つ一つ可能にしてくれたすべての出来事、人々や教会に感謝しかない。
2025年、これまで与えられてきた大きな祝福を思い、主をさらに高く見上げ、この地上での残りの時間、いかにコストがあっても、主についていきたい。期待でいっぱいである。