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シファ病院に残留の未熟児たちも南部へ
イスラエル軍は、ハマスの司令室があるとみられているシファ病院でのさらに踏み込んだ捜査を行うため、病院が機能を失ってからもまだ残っていた約2500人に退去を促した。すると多くが自主的に退去していったと伝えられていた。
それでもまだ残っていた保育器にいる未熟児32人や重症者含む291人の患者と、25人の医療従事者については、19日、WHOによって退去がすすめられ、ガザ南部の医療施設(ラファのUAEの野戦病院・写真)へと移動させた。
ハマスはシファ病院を戦闘に利用・その証拠:IDFハガリ報道官
シファ病院については、IDFのハガリ報道官が、ハマスの拠点として利用されてきた物証を世界に発表している。
①10月7日(イスラエル国内での大虐殺の日)の10:59と表示された病院の監視カメラに、イスラエルでの虐殺に使われていた車が、シファ病院に戻ってきている。また、イスラエル軍から略奪した軍用車両が、病院に到着する様子。
②10月7日10:55と表示された病院の監視カメラ映像に、院内に連行される捕虜2人(タイ人、ネパール人)の様子。この2人のその後は不明。
③遺体でみつかったイスラエル兵ノア・マルキアノ(19)は、10月7日に生きた状態で、シファ病院近くに連れて来られた。その後イスラエル軍との戦闘で、ノアさんを捉えていたハマスは死亡。ノアさんは、負傷し、病院へ連れて行かれたあと、ハマスに殺されたというのが、病理解剖の結果である。ハガリ報道官は、最初の負傷が病理解剖の結果、致命傷ではなかったということを強調している。
ハガリ報道官は、「シファ病院が、戦闘の目的で利用されていたことが明らかだ。」と締めくくった。
ハマスは病院から攻撃・私たちは人間の盾とガザのパレスチナ人証言
この他、イスラエル軍は、ガザの病院で働いていたり、避難していた300人から証言を得ている。この人々は、シファ病院はじめ他の病院にハマスがいたことや、そこからイスラエル軍を攻撃していたこと、自分達は明らかに人間の盾であったことを明確に証言している。またハマスになにか言える人はいないとも言っている。