4月30日(土)は、パレスチナ人の土地の日*であると同時に、ガザ国境での「帰還への行進」と称して、毎週金曜に行うデモが始まってからちょうど1年目にあたる日であった。
ハマスは、29日(金)のデモを休止し、30日(土)の大規模デモに備えるよう、ガザのパレスチナ人たちに指示を出していた。
*土地の日
土地の日は、イスラエルの土地に関する法律により、土地を搾取されたとするパレスチナ人たちが、1976年に、全国的なデモを行ったことを覚える日である。この日の衝突でパレスチナ人6人が死亡している。この事件を記念して、毎年3月31日を土地の日と呼び、パレスチナ人たちが、各地でイスラエルに対するデモが行うことになっている。
ナクバの日というのもある。イスラエルが独立宣言をした5月14日にちなんで、パレスチナ人たちが、5月15日に、「破局の日」としてデモを各地で行う。
イスラエル軍は、戦力を増強し、戦車隊と射撃手を並べて、国境から暴徒がなだれ込んでくる場合に備え、緊張が高まっていた。ここしばらく、エジプトの使者が、双方の間を行き来して、大きな戦争にならないよう、仲介を試みていた。
暴動が始まったのは土曜午後3時。悪天候ではあったが、最終的には4万から5万人が国境に集結。発火物をイスラエル軍に向かって投げつけたり、タイヤを燃やすなどの暴力的なデモが始まった。
侵入を試みる者たちに対して、イスラエル軍は催涙弾と、実弾で対処した。ガザ保健省によると、3人(みな17歳)が死亡。少なくとも300人が負傷した。なお、本格的な暴動が始まる前にも1人死亡したため、今回の暴動での死者は計4人。
この間に、8歳の少年2人がイスラエルへ侵入したが、イスラエル軍は2人を保護。水のボトルを与えて、そのままガザへ戻した。泣いているとみられる少年の姿がなんとも悲しい映像であった。
デモには、ハマス指導者ヤッシャ・シンワルが現場に現れた。またもう一人のハマス指導者イシュマエル・ハニエも、エジプトの使者とともに現場に姿を現した。
これは、ハマスが、イスラエルに対し、エジプトの仲介を受け入れたという印であり、それに応じて、暴動もそれほど大きくはならないという宣言であったともいえる。国境では、ハマスが、めずらしく独自の治安部隊を駐留させ、大きな暴動に発展しないよう監視していた。
国境での暴動は夕方には一段落となった。結果的に、死者は出ているが、いつものレベルの暴動であり、特に懸念されていたような大きな紛争には発展しなかった。
ネタニヤフ首相は、国境でのイスラエル軍の働きを賞賛するメッセージを出した。ハマスも同様に満足であるとのコメントを出している。
それでも暴動終了後の土曜夜中、ガザからイスラエル南部へ5発、日曜午後にものロケット弾が撃ち込まれた。被害はなかったが、イスラエルはいつものように、ガザへの報復攻撃を行った。しかし、空虚な建物を破壊するだけで、象徴的といった類の攻撃である。
イスラエルもハマスも、ロケット弾を放ったのはハマスではないとの見解を出している。(ということに双方がしている可能性もある)
土曜デモが一段落したことを受けて、イスラエルは、日曜朝には、人用、物資用、どちらもの検問所を開放。物資を積んだトラックがガザへ向かっていった。
www.israelnationalnews.com/News/News.aspx/261159
<エジプトの仲介とその中身>
今回、衝突が小ぶりですんだのは、エジプトの仲介があったからである。エジプトは48時間、休みなしに両者の間を行き来し、大きな衝突をなんとか防いだといえる。
しかし、仲介はこれで終わったわけではなく、長期の”停戦”に向けて、交渉がつづけられている。
今回、ハマスが、土地の日に大きな暴動を行わないことへの見返りとしてイスラエルが約束したことは、①先週月曜にガザからのミサイル以来、閉鎖していた検問所を開放し、交易を再開すること。
②月曜以来、閉鎖されていた漁業海域を開放すること。③カタールからの現金搬入を再開することと伝えられている。
www.israelnationalnews.com/News/News.aspx/261150
いいかえれば、ハマスは攻撃をした結果、よい結果を得たということになる。
<イスラエルがハマスと交渉を続ける目的>
暴力に対して、報酬を与えたような結果について、新右派党のナフタリ・ベネット氏は、「イスラエルの民がばかにされている。」と激怒。これ以上のハマスとの合意に反対する意向を表明した。ベネット氏は、ハマスのヤッシャ・シンワルは、とうの昔に亡き者になっているべきだったとも行っている。
www.israelnationalnews.com/News/News.aspx/261200
確かに、皮肉なことに、ヤッシャ・シンワルは、2011年に、ギラッド・シャリート兵士との交換で、釈放された1027人のテロリストの中の1人であった。
シンワルは、イスラエル兵2人を殺害して複数の終身刑を言い渡され、イスラエルの刑務所で22年も過ごした人物である。その間、何度も脱走を試みたという。ネタニヤフ首相は、このシンワルをシャリート兵士との交換で釈放した。それが今、イスラエルにとって大きな障害になっているわけである。
しかし、ガザとの関係は、ちょうどベトナム戦争のアメリカと似ているとの指摘がある。力のバランスがあまりにも違うために、逆にイスラエルが絶対に勝てないというのである。
つまり、ハマスをうちのめすことが、必ずしもイスラエルの益になるとは限らないということである。今のイスラエルにとっては、多少プライドは傷ついても、大きく構えて、長期続く平穏を勝ち取る方が得策なのかもしれない。
またのちのニュースでは、ハマスにとらわれているイスラエル兵の遺体と人質を取り返すために交渉がすすんでいるとの情報もある。なんらかの目的があって、あえてハマスの前に折れたようにみえているだけであろう。
とはいえ、いつまでこの鬼ごっこが続くのかと思えば、まったくの第三者である筆者ですら、もううんざりである。イスラエル人、特に南部住民のフラストレーションはいかばかりかと思う。
もう10年も前のことだが、エルサレムに駐在する日本の某大手新聞社のベテラン記者が、「あいつら(パレスチナとイスラエル)は延々といつまでも同じことをやるだけだ。もう書く気しない。」と言っていた。
今回も、なんとか大きな戦争にならなかったのは幸いではあるのだが、まさに、10年たった今も、ほぼ同じことの繰り返し・・・のようである。解決をさぐりながら、それでバランスをとる。それがパレスチナ問題の実態なのかもしれない。