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2000年前の硬貨が示す絶望の中での希望
イスラエル考古学庁は、7月31日(木)、エルサレムの神殿の丘すぐ下の考古学発掘現場のダビッドソンセンターで、2000年前の銅硬貨を発見したと発表した。
この硬貨には、「第4年」「シオンの贖いのために」という文字が彫り込まれていた。裏側には、仮庵の祭りで使われるルラヴと、2つのエトロゲン(レモン用の柑橘類)が彫り込まれている。
2000年前の1世紀、エルサレムでは、イエス・キリストが十字架で死亡。その数十年後に、熱心党(今でいう極右)のユダヤ人たちが、占領者であったローマ帝国に対する反乱を起こした。
結果的には、西暦70年にエルサレムの神殿が破壊され、以後、イスラエルは、地上からその姿を消すことになる。この激動の時代の硬貨は、これまでに約400枚発見されているが、そのほとんどはエルサレムで、一部は、反乱の最終地点のマサダで発見されている。
当時は、ローマ帝国とは別の、独自の硬貨を製造することで、ローマ帝国に依存しない、独自の経済を回そうとしていたとみられている。また、人々の間に出回る硬貨が、いわば今のSNSの情報源的な効果もあったと考えられている。自国民の反乱への支持を持続させ、敵にもメッセージを送ることになるからである。
今回発見された銅貨には、第4年目と彫り込まれており、西暦69年ニサン(3―4月)アダル(2-3月)の間に作られていた。神殿崩壊の数ヶ月前ということである。
反乱軍にとっては、もはや絶望と推測されるその時期に、「シオンの贖いのために」とも書き込んでいたことになる。もはや神に勝利を託そうとする当時の様子が伺えるとのこと。この硬貨が通常のものより、少し大きいことからも、このメッセージを強調したかったとも推測されている。
ユダヤ人たちは、8月2日日没から、神殿崩壊を記念するティシャ・べ・アブ、断食に入る。その直前にこの硬貨が発見されたことに、ユダヤ人たちは大きな感動を覚えている。
石のひとりごと:神が私の味方であることを私は知っています
イスラエルでは、実にタイミング良く、考古学的な発見が発表されることが少なくない。建国の時の例が有名である。最初に発見された死海文書は、イスラエルが独立する1948年の前の1947年だった。
*死海文書
紀元前3-1世紀に書写された最古の聖書を中心とするヘブライ語による文書。1947年からこれまでに972の文書が発見されている。現存する聖書と同じであることから聖書の信憑性を表す一つの証拠となっている。
死海文書は、最初ベドウィンが7つ、死海のクムランの洞窟で発見し、ユダヤ人がすぐに一部は購入することができた。
その後、一部はギリシャ正教からアメリカに移動するなどの経緯があったが、イスラエル独立後、すべてイスラエルが保有することになった。
この中で最も重要とされたのは、イザヤ書の完全版であった。特に以下の箇所が、イスラエルの建国に関係すると言われている。
彼女は産みの苦しみをする前に産み、陣痛の起こる前に男の子を産み落とした。だれが、このような事を聞き、だれが、これらの事を見たか。地は一日の陣痛で産み出されようか。国は一瞬にして生まれようか。ところがシオンは、陣痛を起こすと同時に子らを産んだのだ。(イザヤ66:7-8)
2000年経って、イスラエルという国が、同じ場所に再建される。それと同時に、イザヤ書がイスラエルに戻る。なんというタイミングだろうか。
そうして今、仮庵の絵柄とともに、「シオンの贖いのために」と書かれた硬貨が発見された。仮庵の祭りは、ユダヤ人たちのすべての苦難が終わり、神の元に帰るという、未来のことを提示していると言われている。
また「贖い」ということばは、代価を払って、買い取るということを意味する。罪の結果の暗闇に落ち込んで出られなくなっているイスラエルを、神が買い取って神の元に引き取る、自由にされる。その時を思うのが、仮庵の祭りなのである。
これが今の、カオス極まりない、イスラエルに、また、今、神殿が崩壊したことを覚え、悔い改めに向かおうとする季節、将来の贖いを思う季節を前にした、イスラエルに与えられた、神からのメッセージではないだろうか。
個人的な事になるが、先日、聖書を読んでいて感動した箇所があった。
それで、私が呼ばわる日に、私の敵は退きます。神が私の味方であることを私は知っています。詩篇56章9節
聖書を読めば、天地創造の神は、イスラエルの味方であることが分かる。それはいつも彼らを甘やかすことを意味しないのだが、最終的な成長、神とのより深い関係に向けて、主はイスラエルを常に見守り、育てるという親のような味方なのである。
イスラエルは、相当悲惨な道を通ったが、今また元の位置に戻っている。味方である神、主がそばにいる限り、最終的には最善に導かれる。それは、イスラエルを見ていれば、分かることである。
ちょうどタイミング良く、ニューヨークのTimes Square Churchのディレナ牧師が次のようなメッセージをしていた。
私たちクリスチャンは、イエス・キリストの十字架によって、罪に対する支払いが終わっていることを信じて、贖われたと信じている。しかし、それでも、わたしたちの人生は、上がったり下がったり、まるでジェットコースターである。
大事なことは、だれが横に座っているかということ。イエスさまが横に座っていれば、何があっても、最終的には大丈夫。それが、神が味方であることを私は知っていますということなのである。
これもまたちょうど、タイミング良く、ユーチューブで、検索もしないのに、「It is well with my soul」という賛美が目について、いつになく感動させられた。
そう、何が起ころうが、それでよい。主である神が味方であるということの平安がこれなのである。
イスラエルは、今もこれからも、ジェットコースターだろう。しかし、最後には国全体の救いという驚異的なことが約束されている。それまで、神である主が、彼らの隣に座っていることを覚えよう。手に負えないカオスに見えるが、主はすべてご存知である。
さらにタイミング良く、この数日前に不思議に同じ日に与えられたみことばも添えておきたい。
あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。(詩篇55:22)
すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。(マタイの福音書11:28)
