www.ynetnews.com/articles/0,7340,L-4670391,00.html
上記のようなテロが発生した19日(金)、エルサレムでは、アラブ人が大挙してエルサレム旧市街に来て、神殿の丘でラマダンの祈りをささげた。Yネットによると今日一日だけで8万人だった。
通常であれば、西岸地区内部やガザ地区のパレスチナ人は、特別な許可がないとエルサレムへ来る事ができない。しかし、ラマダン期間中は、その規制は緩和される。ラマダン期間中、特にイスラムの礼拝日にあたる金曜日には、最大15万から20万人の人出と予想されている。(最初の金曜は8万人。多めにみつもるのが通常)
警察スポークスマンのミッキー・ローゼンタール氏によると、金曜日はあまりにも大勢がベツレヘムやヘブロンなど西岸地区からおしよせるため、西岸地区からイスラエルへの入り口にある検問所から旧市街ダマスカス門前まで、バスで直行し、祈ったあとは、再びダマスカス門前から検問所へ直行するというアレンジが行われた。
相当な数のバスが出入りするため、周辺道路も一部閉鎖されることになっている。イスラムの祈りが終わる午後1時半すぎにダマスカス門付近へ行ってみた。
すでに神殿の丘での祈りは終了したのか、群衆がまるで人間の濁流のように流れ出て来る。白いアラブ式のドレスシャツに肩に祈り用のじゅうたんをかけた強面の男性たち、黒いブルカの中年女性たち、高齢で腰の曲がった老婆や、頭にものをのせたおばちゃんたち。若い女性もいる。iPhoneのイヤホンをしながら出て来る若者など・・実にいろいろである。
その雑多な人の波にむかって、大量の細長い輪型のパンを、てきぱきと売る子供や青年たち。なぜかおもちゃのシャボン玉鉄砲を売るティーンエイジャーと見られる少年の叫び声。物売りたちはじつにてきぱきと動き、大声を出している。実ににぎやかである。
イスラエルの治安部隊は思ったより少なく、威圧的な騎馬の警察もいない。フル装備の国境警備隊や警察官ら15人ほどが、ダマスカス門の正面高台から、出て来るアラブ人たちをながめていた。
その横では、初めてエルサレムに来たと思われる親子連れが、ダマスカス門前で写真を撮ったりしている。上品そうなお父さんと小さな息子さんがいたので声をかけると、ラマラから来たと言っていた。
ラマラはエルサレムから来るまで30分とかからないのだが、この親子はラマダンの時しか、原則エルサレムには入れない。過激なパレスチナ人のイメージとは違い、実に礼儀正しい親子だった。
イスラムの衣装に身を包んでいる笑顔のさわやかな十代の女性とそのお母さん、姉の子という5才ぐらいの女の子がいた。ヘブロンから来たと言っていた。こちらも通常はエルサレムには来れない人々だ。
女性たちは群衆が押し合いへし合いしながらバスを待っている中、あきらめたのか、ちょっとすいているところに立って様子をみているようだった。
アラブ人たちはほとんどがアラビア語だけで、たまにヘブライ語が通じる事もあるが、英語はほとんど通じないので、インタビューはなかなか難しい。
イスラエルに制限され、ラマダンの時しかエルサレムで礼拝することができない人々が、それでもその制限の枠内でエルサレムに来て、大混雑(大混乱)に耐えて、バスに乗ろうとする群衆を見ていると、一部の過激派が作るイメージとは違う、一般大衆のパレスチナの人々の普通の日常を思わされた。
<イスラムとの友好関係をめざすイスラエル>
ラマダン最初の金曜に、パレスチナ人によってイスラエル人1人が殺害されたのだが、今回のラマダンでは、イスラエルは、イスラム社会との友好関係のために、特に力を入れていたのである。
その一人がエルサレム市のバルカット市長である。バルカット市長は、今年もラマダン開始を告げる大砲(音と花火だけで本物の大砲ではない)の管理者ハジ・ヤウヤ・サンドゥク氏とともに、大砲を発射。エルサレム市長として、イスラム教徒たちに祝いを述べた。
また、特にエルサレム市は今年は、大きく予算を割いて、神殿の丘までの通路やベンチを補修。旧市街のイスラム地区の電飾を設置した。さらにゴミの回収をし、ラマダン期間中、旧市街のイスラム地区や、ダマスカス門周辺の清掃を充実させることになっている。道路上での商売への制限も一部緩和した。
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リブリン大統領は、ラマダンに先立ち、東エルサレムのアラブ人たちとの直接対話を実施。また、サクニンにアラブ人の文化歴史を紹介する第二のイスラム博物館をオープンさせた。
リブリン大統領は、テロを防ぐために最も重要な問題は、東エルサレムの住民であるパレスチナ人たちの生活水準を向上させることだと考えている。大統領が指摘するように、アラブ人の東エルサレムとユダヤ人の西エルサレムでは、生活水準に格差がある。
エルサレムポストによると、東エルサレムでは貧困とされる人々が75%にもなっている。子供たちの33%は高校も卒業できていない。39%の家屋が許可なしに建設されており、64%の家は、きちんとした水道システムが整備されていない。
今日も、ダマスカス周辺で特にめだったのは、大人たちとともに働く小学生ぐらいの子供たちの姿だった。お父さんが2人の息子に指示しながら、バスステーション付近でラマダンのパンを撃っていたり、ファラフェルを売っている。
路上野菜売り場では、まだ小学生らしきか細い少年が、思い野菜の箱を抱えててきぱきと動いている。子供たちは、家族の生活費の助けになることがうれしいのか、その働きぶりは実にきびきびしていて、優秀な労働力になっていると思われた。
悪循環になっているのは、東エルサレムの住民は貧しいために、非課税になっているか、支払うべき税金を納めていないために、どうしても市からの教育や清掃などのサービスが滞ってしまうのである。
しかし、西エルサレムの税金は半端なく高い。筆者は外国人であって、イスラエルから給料を得ていないにもかかわらず、家の賃貸にともなう税金は、毎月400シェケル弱(約12000円)に上っている。付加価値税(消費税のようなもの)も18%である。東エルサレムの住民は、これらを支払っていないのである。
西住民にしてみれば、税金を払っていない東エルサレムの住民にまで公共サービズをするのはおかしい、というのも理解できなくもない。それが悪循環を生み出しているのである。
今回、ラマダン初頭にイスラエル人一人が犠牲になるテロが発生したことを受けて、リブリン大統領は、「またテロのエスカレーションへのステップが発生した。地元のパレスチナ人は、こうしたテロを明確に非難する声をあげるべきだ。」と訴えた。