トランプ大統領が出国して2日後の24日、エルサレムでは今年も統一記念日となった。今年は特に1967年の六日戦争で、神殿の丘を含む東エルサレムを奪回し、街が再統一されてから50年目(ヨベル)にあたる。
<城壁にエルサレム3000年の歴史>
統一記念日に先立つ21日には、旧市街ヤッフォ門を中心とする城壁一面をスクリーンに、エルサレム3000年の歴史から、六日戦争の時の様子が、豪快な花火とともに映し出された。
その後、著名な歌手らが、イスラエルで愛されてきたエルサレム関連の歌を、多数のクワイアとともに披露。また多数のドローンを使って、空に大きくダビデの星や、エルサレム、50などと光の点で描かれた。
www.youtube.com/watch?v=T0ydBtPUhss (エルサレム市による紹介ビデオ)
www.youtube.com/watch?v=fUnDtftu8Nw (ハレルヤコーラス:youtubeより)
このイベントには、群衆とともに、ネタニヤフ首相夫妻、リブリン大統領夫妻、新しく着任したアメリカのフリードマン駐イスラエル大使も参加。
ネタニヤフ首相は、「世界に伝えたい。エルサレムはこれまでもこれからもずっとイスラエルの首都である。神殿の丘と嘆きの壁はこれからもイスラエルの手にある。」と挨拶し、かっさいを受けた。
花火やドローン、歌手の出演はないが、城壁でのプレゼンの一部は、7月17日まで、続けられる。
www.jerusalem.muni.il/en/Municipality/Municipal%20info/Pages/AllcelebrationsJerusalem.aspx
<フラッグ・マーチ>
24日の統一記念日には、日中の様々な公式や民間、地域イベントの後、夕方からは、恒例のフラッグ・マーチが行われた。
これは、若いシオニストたちの大群衆が、エルサレム統一を祝って、イスラエルの旗を振りながら、西エルサレムから嘆きの壁へ行進するというイベントである。
イスラエル全国のみならず、アメリカなど海外からもシナゴーグや、シオニスト団体のユースグループが、それぞれのTシャツを着て、それぞれの旗を持って参加する。今年は統一50周年ということで参加者はいつもより多く、75000人と伝えられている。
ユダヤ教に根ざしたシオニズムのイベントなので、女子は、女子ばかりがヤッフォ門から嘆きの壁へ向かい、男子は、ダマスカス門から嘆きの壁へ向かう。
若者といってもほとんどがティーンエイジャーである。日本人であれば、たとえ若者でも、たとえ喜んでいても、これほどのエクサイトとカオスにはならないだろう。全員がきんきんの金切り声で笑い、叫び、動き回って列などはまったくない。
先生とか引率者が、いたのかいなかったのか不明であるが、いてもおそらく、子供達と共に騒いでいたのだろう。
群衆に一緒にまぎれていると、あまりのやかましさと突き飛ばされるのとで、どこからそんなエネルギーが出てくるのかと、あきれはて、疲れ果ての状態だった。
到着地点の嘆きの壁は、文字どおり超満員。立っている隙もないほどである。もちろん前にもすすまない。しかし、苦痛の顔はまったくない。混んでいることなど全く意に介していない。皆、ここにいるだけで最高に喜んでいる。
さらには、こんなややこしい状況なのに乳児を伴っている若い家族達も多い。夜10時をまわって赤ちゃん連れから3歳、5歳児もまだ群衆の中にいた。
嘆きの壁横には大きなステージがあり、バンドがイスラエルの音楽(東方系)をがんがん奏でている。若者達が歌い、反応し、数え切れない旗を振っている。男子たちは互いに肩車しながら旗をふっている。
女子達もワイルドである。おそろいのTシャツで輪になって踊り、疲れると、そのまま地べたに輪になって座って、叫ぶようにしておしゃべりしている。服が汚れるとかどこに座るとかまったく意に介していない。
ステージからはチーフラビが、「主はただ一人」「主だけが神である。」とメッセージを語り、強行右派で知られるユダヤの家党ナフタリ・ベネット氏が群衆に向かって叫んだ。「神殿の丘は我々の手に!」群衆も「おー」と反応した。
嘆きの壁上のユダヤ地区に入ると、ピザ屋、ファラフェル屋、アイスクリーム屋はすべてきゃあきゃあと叫びまくる子供やティーンエイジャーで超満員。ごみはさんらんしっぱなし。それでも皆の顔は喜びしかなく、嫌な顔やもんくは一切見なかった。
ところで、祝い事といえばアルコール無しにはすすまないのが日本文化だが、ここでは、アルコールはいっさいなし。それでも心底、全身全霊で喜び楽しんでいた。
www.timesofisrael.com/tens-of-thousands-march-around-old-city-to-celebrate-jerusalem-day/
<パレードに反対する左派もいる>
一方、イスラエルには、急進的なシオニズムに同意せず、右派勢力に反対する左派のユダヤ人も多数いる。
今年もフラッグマーチを妨害しようとして、ダマスカス門から左派らが紛れ込んでいたが、イスラエルの治安部隊が、これを取り押さえて、追い出している。
www.ynetnews.com/articles/0,7340,L-4967185,00.html
www.israelnationalnews.com/News/News.aspx/230166
<神殿の丘で強行右派ユダヤ人15人逮捕:ヨルダンが非難>
エルサレム統一記念日でいつも問題になるのが、この日に神殿の丘に上がろうとする強行右派ユダヤ人である。
今年もグループが神殿の丘に入り、禁止とわかっているのに、ハティクバ(イスラエル国家)を歌ったり、跪いて祈るなどした。イスラエルの治安部隊は、この15人を逮捕した。
これについて、ヨルダンのアブダラ国王が、「アル・アクサ(イスラム名の神殿の丘)を冒涜する行為」であり、これを制止しなかったのは、「占領者」イスラエルの責任だと公式に非難声明を出した。
アブダラ国王は、「アル・アクサは、絶対的にイスラムのみの聖地であり、その他の考え方は受け入れられない。」と強い語調で訴えた。
この強気の語気は、これまで以上である。やはりユネスコの神殿の丘はイスラムの聖地という採択に力つけられているのかもしれない・・・。
*神殿の丘でユダヤ人が祈れないのはなぜか?
神殿の丘は、確かに神殿があった場所だが、西暦70年にローマ帝国に破壊されて以来、ユダヤ人は自由に入ることができなくなった。638年からはイスラムの聖地の一つとして認識されていた。(十字軍時代を除く)
50年前の六日戦争で、イスラエル軍は神殿の丘を奪回したが、今や”イスラムの聖地”に数えられている神殿の丘をいきなりユダヤ人の聖地と宣言することはできなかったのである。(実際はできたはずとの意見が最近優勢になっている)
そのため、1967年以降も神殿の丘はヨルダンのワクフ(イスラム組織)が管理し、治安だけはイスラエルが守るという微妙な約束となった。管理がイスラムなので、ユダヤ人もクリスチャンも神殿の丘で祈ることも聖書を持ち込むことも許されていない。
<テロ対策世界最強!?イスラエル>
22夜日、イギリスのマンチェスターでの自爆テロで、若者22人が死亡し、まだ多数が重症となっている。子供たちが犠牲となったこの事件のショックはまだまだ世界を震撼させている。
このような時に、イスラエルは、シオニストの若者の大群衆が集まるイベントを、ISISを含むイスラム過激派がうようよする東エルサレムで実施したことになる。
イスラエルの治安部隊はやはり世界最強といえるだろう。
<石のひとりごと>
私ごとになるが、今年は、筆者にとってもエルサレムに最初に到着してからちょうど30年になる。
不思議な付き合いがつづいて、つかず離れず、今まだここにいる。エルサレム50年の歴史のうちの30年。ふりかえれば、この町も大きく変化したと思う。
私自身も、この町で聖書に出会い、この町で信仰を得た。私はユダヤ人ではなく、市民権もないのだが、ここは、私に取っても、やはり第二の故郷と思う。エルサレム・ヨベル、再統一おめでとう!