エルサレムのハヌカ:ベツレヘムのクリスマス 2018.12.05

イスラエルでは、12月2日(日)日没から10日(月)まで、ハヌカの祭りを祝っている。毎年のように、通りのあちこちに9枝の大きなメノラーが設置され、毎日一本づつ点灯される。町には、いたるところに華やかなスフガニヨット(揚げパン)が売られている。時に無料配布も行っている。

エルサレム市内では、毎日、旧市街でユダヤ地区がライトアップ。考古学公園のダビデの町、聖書博物館から、六日戦争を記念する弾薬の丘ミュージアム、ヤド・バシェムから国立公園など、それぞれの場所で、様々なファミリー向けフリーのイベントを行っている。

各地の公民館でも3日、フェスティバルが行われた。オープンマーケットのマハネイヤフダでは、ビールで騒ごう!というイベントもあった。

また今年は、3日にディアスポラ(イスラエル外ニスムユダヤ人)6000人が、エルサレムでパレードを行った。ニューヨークのメイシーズのような巨大なバルーンを浮かべてのマーチで、その後は、旧市街すぐ横のスルタン・パークでコンサートが行われた。エルサレムはにぎやかに楽しくやっている。

<ハヌカは神の奇跡と勝利を思う時>

紀元前198年から、エルサレムは支配していた強大なセレウコス朝シリアに支配された。176BCから王座についたアンテイオカス4世は、特に反ユダヤの王で、神殿でブタを犠牲に捧げて汚した上、ユダヤ人の律法をことごとく守らせないようにした。

聖書の価値観を否定し、ヘレニズム、人間の文化を押し付けたという点から、この王は反キリストの型ともいわれる。ハヌカは、そのシリアを、ユダヤ人のマカビー一家(父親と5人の息子)が撃退し、エルサレムとその中心であった神殿を解放した奇跡を記念する。

勝利の後、マカビー一家は、10年近く異邦の偶像礼拝に汚された神殿をきよめ、主の神殿として捧げなおした。これを「宮きよめ」と言う。この時、神殿のメノラーには油が1日分しかなかったのに、8日間消えなかったという伝説が伝わる。

これを記念して、ハヌカには、通常は7本枝のメノラーを9本枝にして、毎日1本づつ、8日間、明かりをともす。勝利は勝ち取ったのではなく、神が与えてくださるものであることを思う。同時に、再献身の時でもある。

<イエス・キリストとハヌカ>

イエス・キリストも、ハヌカの時にエルサレムで神殿を訪れている。新約聖書ヨハネ10:22-23によると、「宮きよめ」の祭りの時に、イエスが宮(神殿)の中のソロモンの回廊を歩いていたと書かれている。

ハヌカは、ユダヤ人の神、律法への思い、信仰、愛国心が高まる時期である。この時期に、しかも神殿の中で、パリサイ派たちは、イエスに向かって「メシアならはっきりそう言え。」と詰め寄っている。ユダヤ民族への熱い思いから、イエスが否定しないことを知っていて、はじめから石打にする気だったのだろう。

イエスは、「神である父と私は一つである。」と答えた。パリサイ派たちは、これを許しがたい冒涜と捉え、イエスを石打にしようとするが、イエスは彼らの手から逃れたと書かれている。

<ホロコースト時代のハヌカ>

ホロコースト時代のユダヤ人たちは、マカビー時代と同様に、ユダヤ文化を完全否定するナチスの圧政の下にいた。

ナチスの圧政は、1933年から1945年の12年も続いた。はじめはユダヤ人ボイコットから始まり、ゲットー、そしてガス室と、事態は徐々に悪化する。それでも、ユダヤ人たちは、自分たちの時代にもマカビーがまた来るだろうかと思いながら、毎年ハヌカを祝っていた。

www.yadvashem.org/yv/en/exhibitions/hanukkah/index.asp (ハヌカ写真:戦争前、中、後)

1942年、ポーランドで、まだ若い少女であったフェラ・チェプスさんが、日記にハヌカの日のことを書き残している。ゲットーの中で、家々で隠れるようにしてひそかにハヌカが祝われている様子、かすかに聞こえるハヌカの歌声など・・・すぐに消さなければならないろうそくを前に、それでも毎年またハヌカは祝われていたと書いている。

イスラエルという父祖の地、自由の地でのマカビーの活躍を思い、もしかしたら、新しい時代のマカビー、地下組織が私たちを解放してくれるかも!とも書いている。
フェラさんは、パレスチナへの移住の準備をしていた。

ハヌカを日記に記してから3年後の1945年、フェラさんは、グロス・ローゼンに属する強制労働収容所にいた。敗北が近づいていたナチスは、ソ連軍が近づいてくるのを受けて、女性たちを、1-2月の冬の凍てつく中、800キロも歩かせた。これはデス・マーチと呼ばれ、道中で衰弱死させて殺すことを目的としていた。

フェラさんは、デス・マーチで、1945年5月の解放まで生き延びたが、その翌日、力尽きて死亡した。ホロコーストの4年間を書き綴った日記は、デス・マーチの間もフェラさんのリュックに入っていて、今に残されたのであった。

ホロコーストで死んでいったユダヤ人たちが夢見ていた通り、今、ユダヤ人の国があり、そこで盛大にハヌカが祝われている。これまでも、これからも、ユダヤ人たちは、何があろうが、ハヌカを祝いつづけていくだろう。

エルサレムでは、3日、リブリン大統領が、ホロコースト生存者50人とともにハヌカの2日目を祝った。

<石のひとりごと>

ユダヤ人は、自分とその生きている時代を超えて、民族とその将来を見て、それを希望にできる人々である。それはおそらく今も変わっていない。地上ではユダヤ人であったイエスが、十字架での自分の苦しみと死の向こうに見ておられたのも、未来の全人類の救いであった。

私自身に、自分は死んでも、日本民族の将来の勝利を見て満足できる心はあるだろうかと考えさせられる。。。

<ちょっと悲しいベツレヘムのクリスマス>

エルサレムでハヌカの準備が進む中、そこから車で30分ほどのところにあるパレスチナ人の町ベツレヘムでは、クリスマスの準備が行われている。11月29日、ベツレヘム市のクリスマスに関する記者会見に行ってきた。

今年のテーマは、Message of Christmas is being and existence (クリスマスのメッセージは、(パレスチナ人が)ここにいるということ)であった。記者会見は、アラビア語(英語通訳)であり、取材に来ているのは、ほとんど全員アラブ系、パレスチナ系メディアであった。

記者会見には、ベツレヘムのアントン・サルマン市長(キリスト教徒)、パレスチナ自治政府のルラ・マヤ観光相、カーメル・ハメイド知事もコメントを述べた。どの人も、まずは、イスラエルの”占領”とネタニヤフ首相を非難した。

ハメイド知事は、主イエスと言っていたので、クリスチャンのようだが、今年のクリスマスは、特にアメリカ大使館がエルサレムに移動した年なので、特にパレスチナ人の一致、パレスチナ人の存在のイメージを世界に発信しなければならない年だという点を強調した。

imemc.org/article/holiday-preparations-well-underway-in-bethlehem/

確かに、ベツレヘムは、周囲を壁で囲まれ、検問所があって、自由にエルサレムへも出入りできないので、「占領」と感じるのであろうが、ベツレヘムは、最も多くのテロリストをイスラエルに送り込んできた町の一つ。イスラエルは、ベツレヘムによって、多くの市民を殺された。壁によって、テロ事件は大幅に減った。何もないのに、イスラエルが意地悪で、壁や検問所を設けているのではない。

2016年、当時のベラ・バブーン前ベツレヘム市長は、記者会見を英語で行い、クリスマスのテーマは、少なくとも希望と平和だと言っていた。それが今年は、記者会見は、すべてアラビア語で、ベツレヘムはアラブであるという自己主張をはかるとともに、テーマもさらに政治的になっていた。

しかし、クリスマスのメッセージは、「きょう、ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。こお方こそ主キリストです。」である。

言い換えれば、ユダヤ人の救い主が、ダビデの町(ユダヤ人の町)ベツレヘムでうまれたということである。クリスマスを認めるということは、ベツレヘムはユダヤ人の町であったということもまた然りなのではないか。

ベツレヘムが、クリスマスの本来のメッセージ、福音*からどんどん遠ざかっているようで、なんとも悲しいというか、やりきれない記者会見であった。

ベツレヘムでは、12月1日に大きなクリスマスツリーの点火が行われた。2日には、クリスマスマーケット、聖歌隊コンサート・・と様々なイベントが続く。24日には、今年もアッバス議長も出席して生誕教会隣のカトリック教会でミサが行われる。

しかし、パレスチナ自治政府のルラ・マアヤ観光相によると、ベツレヘムの観光はここ数年でかなり回復しており、観光客は、数時間、教会などを見て回るだけで、宿泊はイスラエル側というのが通常であったが、最近は、ベツレヘムに宿泊する観光客が増えて、満員御礼だという。

www.timesofisrael.com/thousands-gather-in-bethlehem-for-christmas-tree-lighting/

*福音(ゴスペル)

福音(ゴスペル)とは、一般的にキリスト教と考えられているが、実はユダヤ教の土台の上に成り立っているのであり、ユダヤ教を無視しては語れないということはあまり知られていない。

ユダヤ教の中心事項は、聖書によれば、世界の民族の中で、神と契約を結んだユダヤ人が、その際に与えられた律法を守って、神との関係を維持・発展することにより、世界もまたこの神につながり、本来の姿を回復していくという考えである。(オラン・ティクーン)

この教えの頂点にあるのが、大贖罪日(ヨム・キプール)。一年に一回、この日に、イスラエルの国と個人、それぞれが、自分には罪がある(律法を完全に守れていない)とみとめ、悔い改めをする。そうしてその罰を受ける身代わりとして、おのおのエルサレムの神殿で、毎年、犠牲の動物をささげることになっていた。これが旧約聖書である。

この後に来るキリスト(救い主)とよばれるイエスは、この教えを基盤に、エルサレムにおいて、自らがその犠牲となって、罪の罰を受け、十字架上で死なれたということである。しかし、イエスは、動物ではなく、神の子である。死んでから3日目によみがえった。

これにより、毎年ささげものになる動物と違って、一回で永遠に、人類すべての罪の身代わりの役割を果たすという新しい契約がもたらされたことになった。興味深いことに、イエスの十字架の後、約40年後には、神殿がローマ帝国によって破壊され、今にいたるまで、もはや動物を罪の身代わりにすることはできなくなっている。

イエスの十字架と復活が世にもたらされて以降、ユダヤ人でも異邦人でも、イエスの十字架が罪の贖いになったと信じて受け取る者は、神との関係を完全に回復することができる。罪の結果として死ぬこともなく、永遠のいのちを受けると聖書は説いている。これを「救い」と言う。

早い話が、罪の赦しと永遠の命の代価をイエスが払ってくれたので、私たちはただ受け取れば良いということである。個人の良い行いや働き、成果によるものではなく、ただ受け取ることだけであることから、良い知らせ、「福音(ゴスペル)」と呼ばれるのである。

ところが、これがなかなか、あまりにも話が良すぎて、人間基準のヘレニズム思考には理解不能で、受け入れがたいのである。福音が、ヘレニズムを超えるという意味では、ハヌカとクリスマスが同じ頃に来るというのも、ある意味興味深いかもしれない。。。

石堂ゆみ

ジャーナリスト、元イスラエル政府公認記者、イスラエル政府公認ガイド、日本人初のヤド・ヴァシェム公式日本語ガイドとして活動しています。イスラエルと関わって30年。イスラエルのニュースを追いかけて20年。学校・企業・教会などで講演活動もしています。