イスラエル人のアンソニー・シモンさん、”トニーさん”は、イギリスの正統派家族に生まれ、35年前に、18歳でイスラエルに帰還。その後救われて、メシアニック・ジューとなった。
2年ほど前から、イラクに聖書を届ける働きをしていたが、5月29日、イラク(イルビル)で車にはねられて死亡した。常に福音宣教に邁進するパウロのような兄弟であったという。享年53歳。
トニーさんを取材していた韓国人のHさんによると、遺体はまだイラクにあるとのこと。
トニーさんがイギリスのパスポートでイラク入りしていたことから、遺体をイラクから運び出す責任は、イスラエル政府ではなく、イギリス政府になる。その場合、遺体はいったんイギリスへ運ばれ、そこからイスラエルへ運ばれることになるが、イスラエルに戻すのは非常に困難だという。
トニーさんの遺族が、「はねた人を赦すので、逮捕しないでほしい。」という趣旨の手紙をイラク当局に送付したとのことで、遺体は、現在、トニーさんをはねた人の家族が丁寧に管理してくれているとのこと。
遺族は妻と成人している2人の息子と娘。もうすぐ初孫が生まれる予定であった。
遺体はないが、6月1日、エルサレムの所属教会(バプテスト・ハウス)で葬儀が行われた。
<福音宣教にかけた人生>
イスラエルでは、信教の自由が認められている。しかし、ユダヤ人にキリスト教の福音宣教することだけは禁止で、場合によっては刑事問題になる。
路傍伝道などを繰り返すと、外国人の場合は国外追放になり、トニーさんのように市民権を持っている人でも、市民権を剥奪され、国外追放になる可能性がある。
しかし、トニーさんは救われて以来、そういうことはいっさい恐れず、どこにいても常に大胆に福音を語りつづけた。近年は、毎週金曜に、テルアビブの路上で、仲間とともに、聖書を配布。話ができた人には福音を語った。
エルサレムでも大胆に聖書を配布し、常に人々に声をかけて福音を語り続けたという。当然、市民権剥奪の危機にもあったが、これまで市民権を維持して、エルサレムの路上でも大胆に福音を語り続けた。
2年前からは、イラク(クルド人地区)の教会に呼ばれるようになり、トルコを経由してイラク入りするようになった。トニーさんのことである。アラビア語の聖書を大量に持ち込み、イラクの武装兵にまで聖書を渡して福音を語り続けた。
以来トニーさんは、40日ごとにイラクへ出向き、主にシリア難民などに福音を伝えた。働きはイラクがほとんどだったが、通過するトルコ、シリアでも聖書を配り、福音を伝え続けたという。
ISISがうようよする地域で、イスラエル国籍を持つユダヤ人がすることとは思えないほど大胆である。
なお、イラクで車にはねられた時も、路上で聖書を配布していたときだったとのこと。
若いころ、トニーさんを救いに導いた友人のリチャードさんによると、トニーさんは、「ユダヤ人をはじめ」ということを大事にしながらも、それ以外の諸国の民にも等しく熱心に福音宣教する人だった。文字どおりパウロのような人であったという。
<最後の聖書>
エルサレムで最後にトニーさんにイラクでの配布用の聖書を調達したのが、エルサレムの筆者宅に来て、彼に聖書を届けた友人のエレナだった。2週間前のことである。
昨日朝、エレナとともにトニーさんの話をしたその朝、教会で、彼が死亡したことを聞いた。エレナも大きなショックを受けていた。教会でも、福音に生きた現代版パウロ、トニーさんの生き方が紹介され、感動してしばらく涙が止まらなかった。
Kings Room Media のHさんが作成したトニーさんに関するビデオがある。韓国語ではあるが、以下のサイトで、トニーさんが熱心に聖書を配布する様子や、イラクでの写真、「コーヒーを飲みながら、無駄な話はせずに聖書の話をする。」と話しているのも見る事ができる。(約3分)
兄弟の遺体はまだイラクにあるが、魂は、間違いなく主のもとにある。自分の走るべき行程を走りつくしたアンソニー・シモンさんに続いて、私自身も自分に与えられた使命を果たしていくこと、福音のために、みこころを一つもたがえることなく、やるべきことをすべて成し遂げていきたいと思わされた。
*訂正のお願い:聖書年間通読が始まるのはシムハット・トーラー
6月2日付のオリーブ山便り記事「シャブオットとラマダン」の中で、ユダヤ教ではこの日に年間聖書通読が始まると記載しました。年間通読が始まるのは、秋の仮庵の祭りの最終日シムハット・トーラーの時でした。訂正をお願いいたします。重大な間違いでした。心よりお詫び申し上げます。*ブログ内では訂正ずみです