熱心なクリスチャン(メソジスト)でもあったネルソン・マンデラ氏。27年に及ぶ投獄と不当な黒人差別にもかかわらず、白人を赦し受け入れ、祖国を分裂と内戦の危機から守った同氏の働きに感動しない者はいない。
しかし、残念ながら、イスラエルは、アパルトヘイト政策を実施していたマンデラ氏の前の政権と、近い関係にあった。そのため、マンデラ氏がイスラエルを訪問したのは1999年、大統領就任後5年が経過し、次期大統領と交代してからである。
マンデラ氏は、アラファト議長を、パレスチナ人の代表として強く支持し、イスラエルは”占領”をやめて、西岸地区はパレスチナ人に、ゴラン高原はシリアに返還すべきとの考えを明らかにしていた。
しかし、同時にイスラエルの治安維持の必要も十分理解していたといい、マンデラ氏もパレスチナ問題には複雑だったようである。
マンデラ氏はパレスチナ問題に対して次のような言葉を残しています。「我々と共に戦い、我々を支えた、我々の兄弟であるパレスチナ人が彼らの自由を達成するまでは、我々の自由も達成されません」
またマンデラ氏はイスラエルと敵対関係にあるリビアのカダフィ大佐を「同志」とよびリビアとも友好関係を保っていました。
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アラファト議長でおなじみのパレスチナの伝統的なスカーフを身に着けるマンデラ氏