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イスラエルが国連にUNRWAとの協力停止を通告
イスラエルは、国会で圧倒的多数で、UNRWAとの協力を停止することを圧倒的多数で可決。4日(月)、国連に対し、1967年の六日戦争(第三次中東戦争)の時に合意したUNRWAとの協力を停止すると通告した。
UNRWAの職員は多くががパレスチナ人で占められており、そのうちの10%はハマスの一員だとイスラエルは訴えている。
UNRWA職員の中に、10月7日のイスラエル人虐殺に関わっていた者も確認された。これについては、UNRWAも認めたが、スタッフの10%がハマスであることは否定している。
今回、イスラエルがUNRWAとの協力を停止することで、どんな影響が出てくるかはまだ推測でしかないが、ガザでは、UNRWA職員が、ガザ市民と同じ立場になり、出入りが難しくなることが考えられる。
イスラエル軍の標的になる可能性も出てくる。活動は実質的に不可能になる。
ガザでは今、激しい戦闘の中、支援物資を乗せたトラックが十分入らなくなっており、食糧の争奪戦の様相にもなっている。
特に北部では、イスラエルが集中して攻撃していた2週間の間、支援物資は全く届かなくなっていた。この間、意図的に兵糧攻めにしていたとも言われている。
しかし、北部には数十万人のガザ市民もいたので、食糧不足が国際社会で問題になったのである。
戦争前は物資を乗せたトラックが、毎日500台が入っていたことから、アメリカは先月、イスラエルに対し、先月、30日以内に、毎日トラック350台が入るシステムの構築を要求した。
しかし、その後も、ガザに入る人道支援物資はこれを遥かに下回っており、最大でも200台少しにしかなっていない。
米国務省のマシュー報道官は、4日(月)、約束の期限までは9日あるが、現時点で、イスラエルは規定に到達できていない、失格点だとの声明を出した。
以下は、ヨルダンからの物資が50台のトラックでガザに入る様子
これに対し、イスラエルは、戦争が始まって以来100万トンをガザに搬入し、10月だけでも2万5000トンの人道支援物資を搬入したと主張している。
実際のところ、ガザの人々が食糧難に陥っているとすれば、トラックが入らないからだけでなく、トラックが、ハマスやテロ組織に強奪され、その後、転売されたりしていることも原因になっていると考えられる。
しかし、国連は、その点にはふれず、イスラエルがUNRWAとの協力を停止したら、ますますガザの市民は食糧不足に陥ると懸念を表明している。
これに対し、イスラエルのカッツ外相は、UNRWA以外の別の組織が、その役割を担うことが可能だと主張した。イスラエルによると、現時点で、ガザへの物資搬入のうち、UNRWAがになっているのは、全体の17%にすぎないという。
しかし、イスラエルは、国際法上、ガザ市民が飢餓に陥らないようにする義務を負っている。今後、ガザの人道状況がどうなっていくのか、注目される。
実際のガザの様子は?南部テント村の様子
しかし、実際のところ、ガザがどのぐらいの飢餓状態にあるのか、それもわかりにくいところである。以下は、激戦の北部ではなく、ガザ南部のテント村生活の様子。
取材されているのはは、戦争で親を失い、孤児になった子供たちである。少年が、戦闘で両親が死んだ時のことを語っている。クリップによると、ガザでは、2万人の子供たちが孤児になっているとのこと。
子供たちが毎日、サバイバルのために、水の調達からしなければならない。少年は、ガザの支配者であるハマスに怒りの言葉を出している。(イギリスのチャンネル4、10日前)
このキャンプで、人々は、毎日、空腹とのことだが、しかし、まだ飢餓状態にまでは見えない。
イスラエルでは、先週、初めての雨が観測された。ガザでは冬の間、雨と寒さと下水が完備されていないころから、泥沼状態になる地域もある。この人々のためにも、早く紛争が終わってほしいところである。
ハマスは人質返還と停戦案を拒否:今後も合意の可能性見えず
戦争が終るには、イスラエル人の人質を返さないといけない。しかし、ハマスは、相変わらず、イスラエル軍のガザからの恒久的な撤退という要求を変えないでいる。
様々な条件が出されてきたが、最後には、エジプトが、人質4人と帰して、イスラエルは、パレスチナ人囚人100人釈放で、短期停戦という案を出したが、ハマスはこれを拒否した。
戦争を終わらせたくないのか、ガザの市民にとっては迷惑な話である。実際のところ、ハマスはもはや、人質がどこにいるのか、わかってないのではないかとの憶測も出ている。
石のひとりごと
イスラエルがUNRWAへの協力停止を、国連に通告したことで、国際社会は、イスラエルが、ガザの人々を飢餓に追いやっている非難している。
しかし、UNRWAのしてきたことも考えてみたい。
第二次世界大戦の後、ヨーロッパで生き残ったユダヤ難民たちは、ホロコーストの深すぎる傷を持ちながらも、1953年までに、全員が難民キャンプを卒業し、新しい人生を歩み始めた。
サバイバーたちは、あえて憎しみに自分を委ねず、それに負けず、自分の人生を切り開いていった。多くの子供を産み、子孫を増やしていく。それこそが、ナチスへの勝利だと考えたのである。
一方、パレスチナ人は、1948年から76年たった今もまだ難民として、国際社会の支援を必要としている。最初に難民になった人の子供、孫、ひ孫にいたるまで、まだ難民と言われているのである。
UNRWAは、自立への支援はしていなかったのではないか。それも含めて、すべてイスラエルの責任と言えるのだろうか。
とはいえ、今現在、実際にガザで空腹な人がいるのであるから、イスラエルは、たとえ不条理であっても、それに何か対処はしなければならないのである。
ガザ南部のこどもたちの笑顔にどこか救われる思いがする。親を殺されても、生きて行こうとしていることがわかる。ハマスはこういう子供たちに、自立ではなく、イスラエルを憎み、イスラエル人を殺すことを教えてきたのであった。
今、この子供たちが、ハマスから守られて、憎しみにその身を蝕ませるのではなく、本来の人生を歩めるようにと祈る。