<イスラエルにいる異邦人アフリカ人たち>
2000年代後半、イスラエルにはアフリカから違法に入国するアフリカ人が急増。約6万人になった。当時内戦状態にあったスーダン人など、正式に難民と認められた人もあるが、多くは経済的な理由での違法な入国だった。
アフリカ人たちは、いったんエジプトに入国し、そこからイスラエルに住むベドウインが、イスラエル内部に侵入する手引きをしたのであった。この際、強姦されたり、誘拐して身代金を要求されるなど極悪な犯罪も行われた。
当初イスラエル政府はこれを放置したため、多くは南テルアビブに住み着いた。しかし、やがて、ビザもなく、働くことも許されないアフリカ人たちは、生きるために犯罪へ走るようになった。2012年ごろには、南テルアビブ住民らが、政府の無策に対し、激しいデモを行うようになった。
しかし、同時にイスラエル人の中から、アフリカ人たちを支援するNPO団体も生まれた。アフリカ人の中には、クリスチャンたちも多くいて、テルアビブに独自の教会も形成された。エルサレムアッセンブリーは、スーダン人クリスチャンたちを支援し、数名に進学教育を授ける支援を行った。
やがてスーダンの内戦が一段落すると、イスラエルはこれとばかりに、スーダン人たちをなかば強制的に南スーダンに送還しはじめる。イスラエルで訓練を受けたクリスチャンの兄弟とその家族は、この時、スーダンに戻ってから教会を立ち上げ、今、多くのスーダン人を救いに導いている。
また、ネタにヤフ首相は、進入路になった南部エジプトとの国境地域に壁を建設。壁と並行し、南部エジプトとの国境近くに、侵入を試みるアフリカ人や不法滞在で捕まったアフリカ人を収容するサハロニーム収容所を建設した。以後アフリカからの侵入者はほとんどなくなっている。
<アフリカ人送還への経過>
しかし、今も南テルアビブには、相変わらずアフリカ人がたむろし、イスラエルで子供たちが生まれるようになった。サハロニーム刑務所にいるアフリカ人はそのまま放置され、なんの対策もないまま時だけが過ぎた。やがて、いつまでもそこで人々を収容し続けることは違憲だとして、対策が求められた。
そこで2015年、送還を受け入れるアフリカ人には、一人あたり3500ドルを支給し、当時受け入れに合意したウガンダへ送還した。こうして、イスラエル国内のアフリカ人は約4万にとなった。
2017年、イスラエルは、2018年3月までに、サハロニーム刑務所にいるアフリカ人を全員国外へ強制送還すると発表した。
しかし、ユダヤ人は、1938年、ナチスドイツの危機に直面しながら、世界のどの国にも難民として受け入れてもらえなかったという苦い経験がある。そのユダヤ人が、アフリカ人の強制送還するわけにはいかないと、強制送還に反対するユダヤ人も少なくなかった。
3月の期限が近づくと、イスラエル国内では、アフリカ人の強制送還に反対する大規模なデモが、テルアビブなど各地で行われた。このため、イスラエルのマンデルビット最高裁は、ついに、強制送還するという政府の決定を差し止める決定を出した。
これを受けて、イスラエル政府は、UNHCR(国連難民人権保護団体)と交渉を続け、4月4日、合意に至ったと発表した。それによると、現在イスラエルにいる約4万人のアフリカ人のうち、1万6000人を、欧米諸国に移動させる。行き先の決まったアフリカ人1人につき、1人はイスラエルの在住ビザを出すというものであった。
イスラエル国内のアフリカ人は、これを喜び道路では祝いの声を上げた。ところがその数時間後、ネタニヤフ首相は突然、これを凍結すると、合意を翻す発表を行ったのであった。
理由は、政府閣僚から一斉に反対意見がでたためである。もしこの案が実施された場合、今後、イスラエルに行けば、欧米諸国に行く道が開かれると考える難民がイスラエルへ押し寄せると懸念されたのである。
また、アフリカ人を受け入れると思われていたルワンダが、そんな覚えはないと拒否したことから、イスラエルは、期限切れとともに、サハロニーム収容所にいる58人を釈放せざるをえなくなった。
チャンネル2が、この人々にインタビューしていたが、結局テルアビブに行くといっていた。収容所で学んだのか、流暢なヘブライ語を話していた。見た目は、どうみてもエチオピア系ユダヤ人であった。
まだサハロニーム収容所に残されているアフリカ人で、ウガンダに送還されることになっている人々もいるが、まだ行き先は決定していない。
イスラエルという国の運営は、本当に難しい・・・と実感させられている。
www.timesofisrael.com/israel-says-highly-probable-african-migrants-will-be-deported-to-uganda/