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人質4人救出のイスラエル軍・シンベト・ヤマム対テロ警察部隊の大規模作戦
土曜日速報で流れたノア・アルガマニさんら人質4人の解放。イスラエル軍とシンベト諜報機関、警察の中でもテロに対応するヤマム部隊が、周到に準備し、訓練もして行った作戦だった。そのレベルは、1976年に100人以上の人質を救出したエンテベ空港作戦ほどに準備されたものだったという。
先週、イスラエル軍は、ヌセイラットのUNRWAの学校に潜んでいたハマスへの攻撃を実施し、民間人が巻き添えになったと世界中の非難を浴びたところだが、この救出作戦は、そのヌセイラットでのことであった。
作戦開始は、8日土曜、安息日の朝11時。ユダヤ人の軍が攻めてこないとハマスが油断していたかもしれない時間であった。
人質が囚われていたのは、200メートル離れた2つのビルであった。1箇所づつ攻撃したら、その間に一方の人質が殺されるかもしれないので、2箇所同時期に、突入した。
ガザ住民らの情報によると、突入したイスラエル特殊部隊は、それとはわからないように、ハマス工作員に変装していたという。
一つのビルには、ノアさん1人が囚われており、比較的速やかに救出できて、その後、ヘリコプターでガザから脱出した。
しかし、もう一つのビルにはヤンさんら3人の男性が囚われており、激しい銃撃戦となった。この戦闘で、ヤマム部隊のエリート、アルノン・ズモラ主任警部が重傷を負い、イスラエル国内の病院に到着したところで、死亡した。
3人を乗せた車両は、急ぎヌセイラを出ようとしたが、途中で激しい攻撃で動けなくなった。そこへ別の部隊が来て救出し、ヘリコプターでガザから脱出させた。これを助けるため、イスラエル軍は、空爆も含め、周辺地域への激しい攻撃を行なった。ハマスは対空ミサイルで反撃したという。
地域は避難民が多数集まっている地域であったため、ハマスは、イスラエル軍の攻撃で、多数の市民(子供数十人)を含む274人が死亡したと発表した。これに対し、ハガリ報道官は、100人が死亡したことは認めたが、非武装の民間人がどれぐらいだったかは不明だと説明している。
Aftermath of the location in Nuseirat where hostages were kept.
~ @Saher95755738 pic.twitter.com/5LKMksIE3n— Imtiaz Mahmood (@ImtiazMadmood) June 9, 2024
なお、後で、ノアさんを自宅に置いていたのは、医師一家で、ハマスからその報酬を受けていたとみられている。
アルモグさんら3人の男性がいた家は、ジャーナリストの一家で、イスラエル特殊部隊突撃の際に、多くが死亡している。いずれも、少なくとも表向きは、民間人宅であることから、イスラエルは、ハマスが民間人を盾にしている証拠だと訴えている。
なお、武力による人質奪回は、これが3回目である。1回目は、10月末に若い女性兵士1人、2回目は、今年2月に61歳と70歳の男性2人を奪回した。
一方、失敗例もある。12月に25歳男性1人の救出を試みたが失敗し、男性は死亡。遺体はまだハマスの手にある。また同じ12月、自力で脱出しようとしていた人質男性3人を、イスラエル軍が、ハマスと間違えて、誤射で失うということもあった。
ガザにいる人質は、当初251人。武力で奪回できた7人の他、交渉で帰還した人質は最初4人、続いて105人。遺体で帰還した人は19人。今もまだガザにいるとみられる人質は116人。このうち43人は死亡しているとみられている。
アルノン作戦と命名:英雄として見送られるアルノン・ズモラ主任警部
この作戦で、人質4人を奪回できたが、その背後で、ヤマム対テロ部隊のアルノン・ズモラ主任警部(36)が死亡することとなった。
この作戦は、故ズモラ主任警部に敬意を表して、当初の作戦名から、アルノン作戦と名前が変更された。
ズモラ主任警部は、敬意をこめて、9日、エルサレムのヘルツェルの丘に葬られた。その道中では、大勢が旗を振って敬意を持って、見送った。警部には、妻と2人の子供があった。救出された4人の人質の家族は、深い弔意を送ったとのこと。
石のひとりごと
4人の人質が、戻ってきて、本当によかった。また、予想以上に元気そうだったことに、喜びと共に驚きでもあった。この4人については、囚われ先がハマスではなく、民間人だったので、それなりに人間として扱ってもらっていたのだろうか。
詳細はほぼ、全く不明なので、どうとは言えないのだが、ハマスから、金をもらって、人質を預かっていたと言われている家人たちは、救出の際に、イスラエルの特殊部隊に殺されたということである。
4人を救出できたことは、朗報以外の何者でもない。しかし、それに伴い、イスラエルの警察官1人と、少なくとも100人の命が失われたことはIDFも認めるところである。
このうちどのぐらいが民間人だったかはわからない。また、民間人だから罪はないとは言い切れない。
その責任は、人々を盾にするハマスに全面的にあることは間違いないし、イスラエルに他の選択肢はなかったことも十分理解できる。イスラエルには、民間人を殺す意図はかけらもないと言っている通りである。
しかし、なぜこんなことになるのか。なんとも、人間の愚かさを実感させられるところである。。。
なお、人質奪回当初は、イスラエルの民意が、このまま武力で人質を全部取り戻す方向に進むかもしれないと言われていた。
しかし、実際には、取り戻せたのは、人質のわずか4%で、そのために費やした努力はあまりにも果てしないことも見えてきている。
戦時内閣が、あくまでもハマスとの戦闘継続を訴える反面、逆に武力であと116人を取り戻すことは、不可能だとの認が軍の間からも出ていると伝える現地メディアもある。
元IDF参謀総長のガンツ氏が、ネタニヤフ首相には、もはやついていけないと内閣を離脱したことにも象徴される流れかもしれない。
とはいえ、このまま戦闘を続ければ、本当にハマスを打倒できるのかもしれず、先のことは、本当に主のみが知っておられる、というところである。