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いつもより過激?第57回エルサレム統一記念日
6月5日は、1967年の六日戦争以来、57回目のエルサレム統一記念日だった。
今年もエルサレムは、神がユダヤ人に与えたと信じる右派ユダヤ人の若者たちが、エルサレムに集結し、イスラエルの旗を振り回して喜びを表現した。
嘆きの壁では、朝から、すでに、輪になって踊りながら、喜びを表現する若者たちがいた。ユダヤ教正統派なので、男女分かれてのダンスである。エルサレムが、ユダヤ人の国、イスラエルの首都であることを祝っているのである。
午前中にいた若者たちは、午後の過激な若者たちと違い、自分の国やエルサレムを喜んでいるという感じである。
午後になると。第二神殿の絵のついたTシャツを着るなど、シオニストの若者たちが続々と集まってくる。個人ではなく、グループごとに若いユースリーダー的な人が率いている。
この日に備え、イスラエルの国境警備隊員3000人が、前日から厳重な警備を開始。エルサレム市内の公共交通は午後2時には、広範囲に一時的に停止となった。
厳しい警備の中、メインのイベントは、午後4時ぐらいから行われる、グレートシナゴーグ前での集会と、そこから嘆きの壁までのフラッグマーチ(旗の行進)である。
今年は、問題の極右政治家ベングビル氏が、「エルサレムは私たちのものだ。ダマスカス門も、神殿の丘も私たちのものだ」「勝利のためには、北のヒズボラも滅ぼすべき」と過激なスピーチを行っていた。
その後、若者たち数万人が、旗を振って叫びながら旧市街を壁沿いに進み、ダマスカス門を経由して、嘆きの壁へと行進していった。
旧市街では、イスラエルの旗を振り回して、イスラム地区を突っ切っていく。パレスチナ人の店はほとんどは閉まっている状態である。その中を、激しく興奮した右派の男子たちが、「完全な勝利」とか「ガザへの再定住」などと、アラブ人たちには聞きづてならない言葉を叫んでいた。
やがて、「アラブは死ね」と叫び始め、アラブ人たちに石を投げるなどして衝突。警察が必死にこれを分離しようとしたが、ユダヤ人ら18人が逮捕された。
www.timesofisrael.com/jerusalem-day-flag-march-marred-by-far-right-violence-under-shadow-of-war/
Police stopped journalists but allowed this guy to climb the mosque opposite of the Austrian Hospice and put an Israeli flag during the flag march in Jerusalem. pic.twitter.com/uF0NtZt64j
— Inga Rogg (@ingarogg) June 5, 2024
この日、取材していたジャーナリストたちも軽く負傷した人が出ていたとのこと。筆者は午前中に旧市街に行ったが、この時点では、まだ若者たちが平和的に、喜びを表現しているだけであった。この人々も、第二神殿のTシャツを着ていたが、その後帰路についていたので、午後の過激派とは別の動きをしていたとみられる。
中道左派たちの動き
この日、左派たちは、パレスチナ人への挑発だとして、エルサレムには行かないと主張する。
一方、旧市街では、イスラエル人全部が右翼ではないということを表すため、ユダヤ人・アラブ人双方に立つと主張する、イスラエル人のグループ「Standing together(共に立つ)」も立っていた。
今年のフラッグマーチは例年になく過激であった。残念ながら、毎年、アラブ人を排除しようとする極右ユダヤ人の行動が激化しており、国際社会での印象を悪くしていると、上記団体の創設者アロン・リー・グリーンさんは語っている。
また別の団体は、「花の行進」として、アラブ人たちに花を手渡していくユダヤ人のグループもある。
ユダヤ人はいったい何をいいたいのか。アラブ人たちにとっては、なんとも複雑だろうか?
エルサレム統一記念日は、多様なイスラエル社会を象徴しているような1日であった。