アブラハム合意その後
イスラエルとUAE,バーレーンが、国交正常化することで合意したアブラハム合意。両国の国民、ビジネスでは、民間機の行き来を含め、すでに様々な動きが始まっている。
イスラエルとアラブ首長国連邦(UAE)は、先月末、互いの市民に対し、ビザなしに行き来できるという合意に至った。
しかし、この合意に至る前の11月26日から、イスラエルからはすでに、旅行者がドバイに入っていたのであった。しかし、12月6日にドバイに到着した約200人は、この合意の後であったことから、その時点での仮の許可では一時、入国を止められるというアクシデントが発生した。しかし、まもなく入国したもようである。
www.timesofisrael.com/hundreds-of-israelis-reportedly-denied-entry-to-uae-after-landing-in-dubai/
バーレーンからは、先週、バーレーンのアルザヤニ通産相が、イスラエルを訪問。旧市街を観光してまわった。宗教が共存し、意外にもアラブ人がほとんどであることなどに感銘を表明していた。バーレーンと行き来する民間機の行き来もまもなく開始されるといわれている。
www.timesofisrael.com/bahraini-minister-gets-spiritual-as-he-tours-jerusalems-old-city/
サウジアラビアの不可解な動き?
アブラハム合意が成立した背景には、湾岸諸国の大親分ともいえるサウジアラビアの水面下での推奨があったとみられている。これを裏付けるかのごとく、ネタニヤフ首相が、ポンペオ国務長官訪問に合わせてサウジアラビアを電撃訪問し、世界にも情報をあえて漏らして、両国の接近をアピールしていたのであった。
ところが、6日、オンラインで開かれた”中東の新しいセキュリティ・パートナーシップ”(開催はバーレーン首都マナマ)において、サウジアラビアのトゥルキ・ビン・ファイサル王子が、イスラエルを人種差別国だと正面切って非難した。
さらに、トゥルキ王子は、「イスラエル政府は、中東に残された最後の植民地政策国だ。西岸地区にアパルトヘイト(人種差別)の壁を作っている。好き放題にパレスチナ人の家を破壊している。核兵器も20発は保持している。」と、イスラエルを非難しまくったという。
さらには、ビン・サルマン・皇太子の言葉として、「サウジアラビアは、1949年ラインからイスラエルが完全に撤退し、エルサレムを首都とするパレスチナ国家が成立した場合にのみ、イスラエルとの国交を樹立するという、アラブの和平案を今も支持する」と述べた。
これは、今、サウジアラビアと水面下で、国交の話が進んでいるとみられる中、冷水をかけるようなもので、会議に出席していたイスラエルのアシュケナジ外相は唖然として、「それは残念」と言ったという。
しかし、続いて、「それは、今中東で進んでいる変化に沿っているものではないと思う。」と述べ、UAEとバーレーンとのアブラハム合意は、サウジアラビアの推奨なしには、実現しなかったとして、サウジアラビアへの感謝を述べた。
また、「今の中東は、2つに別れようとしている。将来と子孫のために、経済的な繁栄と治安を求めようとする国々にたいし、戦争と過激な暴力への道を選ぼうとする国々だ。」と述べた。
また、パレスチナ人については、「イスラエルは今併合から関係の正常化へ進むと思う」として、無条件に、交渉に戻るように呼びかけた。
すると、トゥルキ王子は、パレスチナ人が交渉に戻る条件として、西岸地区の入植地にいる45万人のイスラエル人が、すべて撤退することをあげた。
アルジャジーラによると、トゥルキ王子は、今は、公式の立場はないが、かつて現在のサルマン王の元で、20年以上諜報機関を率いていたという。トゥルキ王子の考えは、サルマン王の考えを繁栄しているとみられる。
ネタニヤフ首相が、サウジアラビアで直接会談したのは、モハンマド・ビン・サルマン皇太子である。サウジアラビアとイスラエルの国交が進むのは、サルマン皇太子が王になってからではないかと見られている通りである。