CNNも伝える米アズベリー大学のクリスチャン・リバイバル 2023.2.20

SNSなどでも様々な情報がとびかっている、アメリカ・ケンタッキー州、ウイルモアにある、小さなクリスチャンの大学、アズベリー大学でのクリスチャン・リバイバル。一般ニュースメディア、CNNでもとりあげられている。

edition.cnn.com/2023/02/18/us/asbury-revival-christian-what-is-cec/index.html

www.christiantoday.co.jp/articles/32003/20230215/world-mission-prayer-february-15.htm

クリスチャンのリバイバルとは、クリスチャンたちが集まっている場所に聖霊が満ち溢れ、だれもが否定できないほどに、聖書の神である主と出会う(エンカウンター)経験をするということである。それが、もう2週間も続いているという。始まりは、いつもの水曜の祈り会だった。

今ではアメリカ各地から多くの人々が、ケンタッキー州のこの大学に押し寄せているという。中に入るのに長い列になっている。また入った人は、ただそこから離れたくないと思うと言っている。

アメリカでは、こうしたリバイバルが時々起こっている。1906年にカリフォルニア州ロサンゼルスのアズザストリートのリバイバルがある。

1940年代と1950年代に、オーラル・ロバーツによるリバイバルがおこり、大きなテントでの集会が行われた。ビリーグラハムもこの時代である。

福音派クリスチャンとして知られるペンス前副大統領は、「主がアズベリーで働いておられる。人々が、永遠に変えられている。」とツイッターでコメントした。

クリスチャン・リバイバルとは?

クリスチャンでない読者には、わかりにくいと思うので、かんたんに解説をこころみる。。

クリスチャンたちは、旧約聖書で示されたイスラエルの神を天地創造の神と信じている。しかし、その旧約聖書によると、人間社会を代表する者として選ばれていたイスラエルの民も含め、その他の人間も皆、その神の教えに従いきることができなかった。

結果として、神ではない、自分の欲や罪に走って、この神から切り離されたものになっているということを旧約聖書は教えている。

それを解決するために、神、主(神の呼び名)は、イスラエルの民に、年に一回動物の犠牲を捧げて、身代わりに罪の罰を受けさせて、一時的にでも関係を回復するという方策を与えていたのであった。

しかし、これはその次にくることの型であったというのが、新約聖書である。新約聖書には、動物ではなく、神自身が人となって、その罰を負う、すなわち、イエスが、十字架刑で死ぬことで、人間の罪とその罰を身代わりとなっていったん死んだと書かれている。

しかし、キリストは、死んで終わらなかった。十字架にかかって確かに死に、我々の代わりにいったん地獄にいったが、3日目にそこからよみがえって、地上で弟子たちに確かにその姿を表したと書かれている。これにより、キリストは、人間が、自分で贖いきれない罪の罰を身代わりとなって受けただけでなく、それを制覇したということをも表している。

これを信じる者は、神との関係を回復できる。この罪の贖いを受けて、神、主との関係を回復することを、「救い(Salvation)」という。

さらにこれで終わりではない。弟子たちに、確かによみがえったことを示した後、キリストは天に帰っていったと書かれているのだが、聖書によれば、キリストは将来、またこの地上に戻ってくると約束している。それで、その時まで、地上に残されている弟子たちのために、またそののちの人々のために、すぐそばで、様々な導きや、教えをする者として遣わしたとされるのが、天から神の霊、聖霊である。

ここでユダヤ教は、クリスチャンの神は3つあるというが、そうではない。キリスト教では、天の父なる神、その御子として地上にこられて十字架にかかってよみがえった御子イエス・キリスト、そして、そのイエスが地上に送った聖霊の3者が、どの形態であっても、ただ一人の神、主ご自身であると信じるている。これを三位一体と呼ぶ。神が3人いるのではない。

今アズベリー大学で起こっていることは、この聖霊が、クリスチャンたちの集まりの中で、生き生きとその臨在を感じさせており、人々がそこで、神、主に親しく出会う、エンカウンターを経験しているということである。

神とのエンカウンターでおこること。それは、自分がいかに罪人であるかが明確となり、その罪を告白せずにはいられなくなる。そうして、その罪の罰を身代わりに受けてくれたキリストの愛を、実にリアルに経験することになる。

このリバイバルで、初めてこれを経験する人もいれば、長くクリスチャンだった人が、このエンカウンターで、生き方を新しくされる人もいる。心にあった怒りが取り去られたなど、回復の経験を語っている人もいる。

そこにいれば、とにかく、だれもが、そのような経験をしているということである。筆者も、アメリカにいたころ、ロードアイランド州の小さな聖書大学で、これを経験したが、まさに、キリストがそこにいるかのような、その足音が聞こえるかのような感覚だった。

学生たちは、一人二人と前に行き、罪を涙ながらに告白し、神との関係を新しくされていた。3日間続いたが、空気は荘厳なほどにすみきっていて、静かだった。

もうすっかり忘れていたが、このニュースを聞いてなんとなく、思い出した。こんな経験、日本でもおこらないかと思わされた。。

その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子、娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。その日、わたしは、しもべにも、はしためにも、わたしの霊をそそぐ。(旧約聖書ヨエル書2:28-29)

石堂ゆみ

ジャーナリスト、元イスラエル政府公認記者、イスラエル政府公認ガイド、日本人初のヤド・ヴァシェム公式日本語ガイドとして活動しています。イスラエルと関わって30年。イスラエルのニュースを追いかけて20年。学校・企業・教会などで講演活動もしています。