アメリカ軍、ホルムズ海峡付近に軍備増強 2012.7.7

7月1日、ヨーロッパからの新しい経済制裁発動と同時に、長距離ミサイルの発射実験をするなど、強気を見せているイラン。アメリカは、湾岸地域に空母を配置、ホルムズ海峡付近の水雷除去兵力を2倍にするなど、「ホルムズ海峡には手をださぬよう」との無言のメッセージをイランに送っている。

*中東から日本を含む世界に石油を運ぶタンカーの35%は、ホルムズ海峡を通過している。イランは、中東35カ所のアメリカ軍基地をいつでもミサイル攻撃する用意がある、またホルムズ海峡を閉鎖すると脅迫している。

タル法(徴兵制)議論 沸騰中 2012.7.7

タル法(徴兵制)改正をめぐってイスラエル国内では論議が沸騰中、連日トップニュースとなっている。

7日夕刻(日本時間8日、午前2時半)より、テルアビブにおいて、タル法を改正し、正統派ユダヤ教徒にも徴兵の義務を求める大規模な市民デモが行われることになっている。

<タル法議論の背後にあるもの>
この問題の本質は、イスラエル軍の予備役兵不足にあるのではない。社会の不公平感が限界に達したということである。
現在イスラエルで従軍しないのは、いわば”祭司”と目されるユダヤ教正統派と、敵対者にもなりうるアラブ人である。ところがこれらの人々は、従軍しないだけでなく、社会で働かない(アラブ人に関しては雇用先がない)人々でもある。ということは、税金は払わないのに、国の社会保障は受け取っているということを意味する。

問題はこれらの人々が納税者に反比例する形で、急増しているということだ。少子化がすすむ一般世俗派ユダヤ人夫婦にくらべて、正統派もアラブ人も多産だからである。現在、イスラエルの子どもの30%が正統派。今後働かない人口は増える一方である。

もし正統派やアラブ人口が市場に出て働くようになれば、イスラエルにもたらす経済効果は大きいといわれる。徴兵の義務は彼らを労働に結びつける一歩であるとも考えられている。

<正統派も働きたい?>
正統派が皆従軍しないわけではない。2002年の改正から、正統派でも希望すれば従軍できるようになっている。しかし実際には、宗教上の規制や、いじめにあうなどで、一般の部隊で世俗派兵士たちと一緒に働くのは難しい。そのため、正統派の特別部隊が作られ、少ないが今も従軍している正統派はいる。

正統派の中にも社会で労働し、従軍もしようとしている若者は少なくないといわれる。しかし、それを止めているのがラビたちで、「仕事よりもトーラー(聖書)を選べ」と教えているという。

イスラエルの徴兵制をめぐって 2012.7.3

正統派ユダヤ教徒の男性

イスラエルには、超正統派ユダヤ教徒と、アラブ人は徴兵しないという法律がある。これについて1999年に最初の見直しが行われ、2002年からは5年おきに論議、改正がなされることになった。これを「タル法」という。
今年は、その5年目にあたり、来月が見直し期限となっている。

イスラエル世論からは、「国民なら超正統派もアラブ人も同等に兵役につくべき」とタル法改正を求める声が高まっている。これは言い換えれば、ユダヤ教正統派と世俗派の対立といってもよく、イスラエルの今後の姿に影響する大きな分岐点になりうる案件である。

*正統派が兵役を免除されているのは、彼らが現代イスラエルの”祭司”であると考えられているため。

<プレスナー委員会・解散>
この件に関して、ネタニヤフ首相は、改正反対、賛成、双方の意見を持つグループからなる委員会を立ち上げて、議論を行わせた。これを委員長の名をとって「プレスナー委員会」という。委員会は、今週末までに、意見をまとめて首相に提出することになっていた。

前情報によると、委員会は、「正統派ユダヤ教徒神学校学生のうち80%には兵役の義務を課し、もし拒否する場合には処罰を受ける」というタル法改正案をまとめていたとされる。

ところが、プレスナー委員会は、最終的に意見をまとめきることができず、先週から、正統派代表に続いて右派代表も、委員会から脱会してしまった。これでは委員会の意味をなさないとして2日、ネタニヤフ首相は、プレスナー委員会の解散を宣言した。いいかえれば、タル法改正への道筋が頓挫した形である。

<大連立政権が危ない?>
この件について、今の大連立政権を支えるカディマ党のモファズ党首が、「もしタル法の改正が行われないなら、連立を離脱する」とネタニヤフ首相を牽制。それこそが連立に加わった理由だったとモファズ氏は言っている。

もしタル法改正がなされず、先送りされた場合、国民の80%を占める世俗派市民が大規模な反対デモに出る可能性もあるとされ、ネタニヤフ首相の手腕が注目されている。

手は尽くしたが・・・シリア情勢 2012.7.2

先日、ジュネーブで国際社会が「移行政府組織」を設立し、アサド政権に政権を返上させる案が採択されたが、シリアの反政府側が、「これではあいまいすぎて、アサド大統領が入り込む要素も含んでいる」と拒否する姿勢を示した。アメリカのクリントン国務長官は、「これがうまくいく補償はない」と悲観的な見通しを語った。

トルコは、シリアとの国境に軍備を配備中。今日、シリアのヘリコプターが近づいたとしてトルコの戦闘機数機がスクランブル発進したが、ヘリコプターはまもなくシリア領内に戻り衝突にはならなかった。

シリアでの殺戮はおさまることなく、今日も続いている。

イスラエルの肩代わり借金 2012.7.2

パレスチナ自治政府(PA)の経済状態が、深刻になってきている。2日、イスラエルがIMF(国際通貨基金)から、PAに代わって融資を受け、それをPAに又貸しするという計画が、IMFによって拒否されたことがわかった。
この計画は、以前からIMFで共に代表として働いて知り合いだったPAのファイヤド首相と、イスラエル銀行総裁のフィッチャー氏が協力してすすめていたもの。IMFは検討を重ねた結果、パレスチナ自治政府が”国”ではないという理由で、たとえイスラエル経由でも融資できないと回答したもよう。

<ラマダン準備できない>
西岸地区では、多くのパレスチナ人が、自治政府職員という形で、政府からの給料で生きている。つまり、海外から自治政府に支払われた支援金で、生きている人が多いということである。この支援金が最近の経済事情で滞っており、給料も払えない状態に陥っている。今月中旬からイスラム教徒はラマダン月に入るので、資金不足は深刻。

PAのファイヤド首相は今年初頭、湾岸アラブ諸国に10億ドルの支援金を要請したが、送金は7億ドル5000万ドル以下にとどまっている。

イスラエルの第7代首相イツハク・シャミール氏死去 2012.7.1

30日、イスラエルの第7代首相イツハク・シャミール氏が96才で死去。首相在任は1983-1984、1986-1992の二期。パレスチナ人の第一次インティファーダ(石投げ運動)と、湾岸戦争でイラクからのスカッドミサイルに対処した首相である。晩年アルツハイマーとなり、高齢者ホームですごしていたという。

エジプト新時代出発 2012.7.1

30日、エジプトで初めての非軍人でイスラム主義者のムルシ大統領が就任。通常は議会の前での宣誓となるが、議会が軍によって解散させられて存在しないため、最高憲法裁判所での就任式となった。

これから議会選挙、憲法草案と続いて行くが、それらが完了するまで、軍が立法権を維持、憲法草案にも拒否権を保持するなど、まだまだ大統領への制限は残ったかたちでの大統領就任だ。

ムルシ大統領は、パレスチナ人を支持する立場を示しながらも、国際条約(イスラエルとの和平条約)は遵守すると語った。

シリア人しだい・・ジュネーブ国際会議 2012.7.1

内戦が激化しているシリアについて、30日、スイスのジュネーブで外相級国際会議が開かれた。バン・キ・ムーン国連総長の他、参加国は安保理5カ国と周辺国あわせて16カ国。

シリア問題特使のアナン氏は会議の前に、「国際社会はこれまでシリア問題について、なにひとつ成し遂げられないでいる。これ以上、何もできないままでいるなら、後に歴史が私たちを裁くだろう」と一致を呼びかけた。

<連立移行政府組織>
会議では、アナン特使が、次のカードとして、現政権と反政府グループ双方からなる「連立移行政府組織」を立ち上げて、アサド大統領に政権を返上させる案を提案し、話し合いが行われた。

アナン特使の案では、アサド大統領本人は、この移行政府組織に参加できないとしていたが、その点についてはロシアが合意しなかった。そこで、「アサド大統領は参加できない」とする一文は削除された。つまり、厳密に言えば、アサド大統領もこの移行政府組織に参加できるということになる。

これに対し、アナン特使は、「これほどの犠牲を払って戦っている反政府側が、手を血まみれにしているアサド大統領とともに、政府組織を立ち上げるとは考えられない。」と語った。

最終的に、国際社会が一致することが重要だとして、「シリア人しだい」という理解の元に、アサド大統領の辞任を含まない「移行政府組織案」で国際社会全会一致という発表がなされた。

この案には期限は記されていないが、アメリカのクリントン国務長官は「今年中」と語ったもよう。なお、アサド大統領は、「シリアのことに外国は干渉無用」との態度を維持している。

<石のひとりごと>
シリア問題をみていると日本の幕末を思わされる。あの時、徳川慶喜が大政奉還していなかったら、ちょうど今のシリアのように、日本中を巻き込む内戦状態になっていただろう。

そうなれば、国際社会やイランのような国が入り込んできて、今ごろ日本はどうなっていたかと思う。しかし、日本は大戦争も、国際社会の助けもなしに民主国家への移行をなしとげた。今思えば、自ら権力の座から降りて政権を返上し、内戦を回避した慶喜の決断に敬意を表したい。