73回目のホロコースト記念日 2018.4.15

12日、イスラエルと世界中のユダヤ人たち、またその友人支援者たちは、今年もホロコースト記念日を迎えた。アウシュビッツでは、毎年恒例の生者の行進(アウシュビッツからビルケナウまでの3.2キロ)が行われ、世界中から12000人が参加した。

イスラエルからは、リブリン大統領、エイセンコット・イスラエル参謀総長、アルシェイク警察長官が参加した。ちょうど、アメリカがシリアを攻撃し、イランがイスラエルを攻撃してくる可能性があった時で、防衛のトップが不在になることに懸念もあったが、予定は変更されなかった。

www.jpost.com/Israel-News/Police-Chief-in-Auschwitz-Were-not-coming-to-learn-were-coming-to-teach-549586

ポーランドといえば、最近、ホロコーストの責任がポーランドにあるかのような表現をした場合、刑事責任をとられるという法律が成立して論議を呼んだばかりである。

アウシュビッツでの式典には、その法律を成立させたポーランドのドュダ大統領も出席していた。リブリン大統領は、式典でのメッセージで、ポーランドもナチスの犠牲者であり、ポーランド人の中に、義なる異邦人が何千人もいたことを認めた上で、昨日まで友人であったポーランド人が、ナチスの存在なしにユダヤ人を殺害したことも事実であると訴えた。

www.ynetnews.com/articles/0,7340,L-5229105,00.html

イスラエルでは、11日夜、ヤドバシェムで記念式典があった他、12日には、ネタニヤフ首相に続いて様々な人や組織が献花した他、記念ホールで、遺族や友人らが、犠牲者の名前が読み上げ、ただ600万人ではなく、一人一人を覚えた。

イスラエルにいるホロコースト生存者は2016年末で、18万6500人。1年に2万人ぐらいは亡くなっている。中央統計局によると、2035年には2万6000人になっていると予測されている。

<今もまだ続くホロコーストの苦しみ>

今回、記念式典で、よく取材で顔を合わせ、立ち位置でももめたことのあるイスラエルのテレビのカメラマン、ベニーさん(60歳代?)に、ホロコーストに関係しているかどうか聞く機会があった。

ベニーさんのお父さんは、家族で唯一生き残った人で、その他の家族は一人を除いてみなアウシュビッツで殺害されたという。ベニーさん自身は、イスラエルで生まれている。典型的なホロコースト二代目である。

いつも機嫌の悪い人なのだが、この式典に集っている人々についても、「なにもわかってない。」とぼやいていた。

帰る直前、ベニーさんが、「日本はドイツとつるんでたんだぞ」と言ったので、すぐに謝った。「まあ君はまだ生まれてなかったからね。」との返答。「でも私たちの旗の下だったから」ともう一度謝った。別れるまえに、「そういってくれてありがとう。」と言われた。

翌日の記念ホールでは、90歳は超えていると思われる夫妻がいたので、話を聞いてみた。二人は、イタリアでホロコーストに巻き込まれた。戦後に結婚し、イスラエルに移住したという。奥さまの姉妹がアウシュビッツで殺されたらしく、涙で話が続けられなかった。

この人たちに出会い、ホロコーストが歴史なのではなく、今もなお経験者を苦しめている現在進行形なのだということを改めて実感させられた。

www.jpost.com/Israel-News/Only-26200-Holocaust-survivors-will-be-living-in-Israel-by-2035-539668

石堂ゆみ

ジャーナリスト、元イスラエル政府公認記者、イスラエル政府公認ガイド、日本人初のヤド・ヴァシェム公式日本語ガイドとして活動しています。イスラエルと関わって30年。イスラエルのニュースを追いかけて20年。学校・企業・教会などで講演活動もしています。