第11代ヘルツォグ新大統領就任:リブリン前大統領任期満了にて 2021.7.8

ヘルツォグ新大統領(左)とリブリン前大統領(右)間の女性は、ヘルツォグ大統領夫人Kobi Gideon / GPO

アイザック・ヘルツォグ新大統領就任

ヘルツィグ大統領
wikipedia

7日午後、エルサレムの国会で、7年間の任期満了を迎えたリブリン前大統領(81)から、アイザック・ヘルツォグ大統領(60)に交代する就任式が行われた。イスラエルで11番目の大統領である。

国会では、ベネット首相と閣僚、全議員たちが見守る中、国会議長を挟んでリブリン前大統領とヘルツォグ新大統領が立ち、ヘルツォグ大統領が、左手を聖書に置いて、イスラエルへの忠誠を誓い、宣誓書に署名した。

すると、国会全体に拍手が広がり、イスラエル軍兵士が角笛を吹いた。さすがに油そそぎはないが、まるで、聖書に出てくる王のようである。

ただし、今の大統領は、政治には直接かかわらない。しかし、内閣組閣を誰に命じたり、裁判官の任命を行うなど国家最重要ポジションの任命は行う。首相と並んで、各国大使を迎えるのも大統領である。大統領には、恩赦の権利もある。

式典では、イスラエル軍のコハビ参謀総長、ラウ・チーフラビが列席。前ユダヤ機関総責任者らしく、アリヤ(移住者)の子供達約100人も出席していた。

大統領選挙で最後まで候補者として残ったミリアム・ペレツ氏も出席し、ヘルツォグ大統領を祝福している。

この式典の後、ヘルツォグ大統領は、大統領官邸に向かい、笑顔で迎えたリブリン前大統領とその交代が行われた。

www.ynetnews.com/article/bkmfjhfto

温かい人柄で人気が高かったリブリン前大統領

נשיא המדינה ראובן רובי ריבלין
ביקור בבית הספר היהודי הר הצופים
מלבורן, אוסטרליה
Photo by Kobi Gideon / GPO

7年前、リブリン大統領が、シモン・ペレス大統領から引きついで大統領になった時のことを覚えている。

なんとなく、田舎のおっちゃん風で、最初は演説もたどたどしかった。しかし、こちらも、1800年代に、最初にイスラエルに移住したリブリン一族の末で、ユダヤ人社会では名門の筋である。

就任後は、イスラエルのアラブ人、ドルーズなどの社会とも交流を深め、一方で、大統領官邸で、聖書研究会をするなど、全市民を、公平に受け入れるというイメージの大統領になっていった。

リブリン大統領とネハマ夫人
photo by Haim Zach / GPO

在職中、恩赦1797件、国内訪問932回、海外訪問131回、外交ミーティング5864回。トランプ前大統領夫妻が訪問した際、リブリン大統領夫人のネハマさんが、メラニア夫人と親しくしていた様子が印象に残っている。ネハマさんは、2019年に病気で亡くなっている。しかし、そのわずか数日後、リブリン大統領は公務に戻っていたのであった。

テロ犠牲者家族、戦傷、戦没兵士の病院訪問はじめ、ミサイル攻撃のしたにいた南部の子供達への大統領の読み聞かせなども行っていた。リブリン大統領の7年間に大統領官邸で、多くのイベントが行われたこともあり、官邸を見学に来た人は13万人と、史上最高を記録した。国民に親しまれた大統領であった。

また、2年以上も正式な政府が立ち上がらない中、繰り返し行われた組閣指名は8人に上った。政治には直接関わらないはずだが、実際には、組閣指名する大統領次第というような場面もあった。右派ネタニヤフ首相とは、対立していると言われたが、公務に私情を挟む様子はなかった。

www.timesofisrael.com/the-presidency-that-was-reuven-rivlins-seven-years-in-office/

大統領官邸には、歴代大統領の顔の記念碑が並んでいるが、その最後に置かれたリブリン大統領の碑文には、次のように書かれている。「聴く能力がなければ、学ぶことができない。学ぶ能力がなければ、修復もできない。」“Without the ability to listen – there is no ability to learn. Without the ability to learn – there is no ability to repair.”

なかなか和解できないアラブ人たちとの和解を目指していた、リブリン大統領らしいことばである。

www.timesofisrael.com/herzog-takes-office-as-israels-11th-president-warns-of-dangers-of-polarization/

イスラエル史上の名家出身:アイザック・ヘルツォグ大統領

第11代大統領に就任したアイザック・ヘルツォグ大統領は、イスラエルでは、名家として知られる家系の出身。祖父、イツハク・ハレビ・ヘルツォグ氏は、建国当初のイスラエルで最初のチーフラビ(アシュケナジー)であった。アイザックという名は祖父からもらった名前である。

おばのスージーさんは、1947年、イスラエルを認めた国連総会の際、まだ国家になっていなかった時代のユダヤ国家代表としてニューヨークで、この総会に出席していたアバ・エバン前外相の妻である。

第6代ハイム・ヘルツォグ大統領
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そして父は、1983年から1993年までの10年間、イスラエルで大統領を務めた、第6代ハイム・ヘリツォグ大統領(1983-1993年)。兄マイケルさんも、イスラエル軍准将レベルの司令官として名を残している。ヘルツォグ家は、まさにイスラエルの歴史に名が残る名家である。

今回、ヘルツォグ大統領が、国会での宣誓の時に手を置いた聖書(モーセ五書)は、107年前から一家に代々伝わるもので、父のハイム・ヘルツォグ大統領も宣誓の時に使ったものであった。

アイザック・ヘルツォグ大統領は、1960年、テルアビブで生まれた。父が国連で働いていたこともあり、ニューヨークの大学で学び、帰国後イスラエル軍では、秀才の集まりとして知られる情報IT関連の8200部隊で活躍している。

政界入りは、1999年から。2国家2民族案、パレスチナ国家設立を認める左派の立場で、労働党(ベン・グリオン故首相の党)メンバーであった。バラク政権、オルメルト政権下で、閣僚もいくつか務めている。

2013年からは労働党党首になり、右派ネタニヤフ政権と対立する筆頭野党リーダーになった。一時、右派カディマ党のツィッピー・リブニ氏と「シオニスト同盟」を結成して、右派政権に対立した。しかし、このころより、労働党の人気はガタ落ちとなった。

2017年、労働党党首をガバイ氏と交代。しかし、労働党は今も勢力が回復できず、国会ではなんとか議席を残すという状態である。労働党党首から退任後の2018年からは、ユダヤ機関イスラエル支部の責任者となり、ディアスポラとイスラエルの架け橋、移住促進に務めていた。妻と3人の子供がいる。

石のひとりごと

アイザック・ヘルツォグ大統領は、政治家時代、何度か国会で取材したことがある。右派ネタニヤフ政権に対して、かなり辛辣で、ボロクソな発言をしていたのを覚えている。しかし、シオニズムと左派思想の同居、特にエルサレム問題への考え方にどうも矛盾があり、支持率が下がったかもしれない。

小柄な人で、なんとなく貫禄がない感じもするが、発言力はある人である。ユダヤ機関での人脈を生かして、ディアスポラのユダヤ人たちとのすばらしい架け橋になってくれるのではないかと思う。

リブリン大統領は、奥様に続いて、大統領としての公務も手放すことになる。81歳と高齢でもあるので、これからの日々はどう過ごしていくのかとも思う。リブリン大統領らしい日々を送られることを祈る。

石堂ゆみ

ジャーナリスト、元イスラエル政府公認記者、イスラエル政府公認ガイド、日本人初のヤド・ヴァシェム公式日本語ガイドとして活動しています。イスラエルと関わって30年。イスラエルのニュースを追いかけて20年。学校・企業・教会などで講演活動もしています。