祭りのあとのひととき(シェミニ・アツェレート) 2012.10.9

レビ記23章36節によると、イスラエル人は仮庵の7日が終わった翌日、8日目も主の前に出るよう記されている。今年はそれが昨日8日だった。

ユダヤの例祭は、主がしてくださったこと、主がこれからしてくださることを覚えるために定められているのだが、この日だけは不思議に記念すべきできごとがなにもない。

ユダヤ教では、この日は、仮庵の週を民とともに過ごした主が、祭りが終わって帰途につく民と最後にもう一日共に過ごしたいと願われている日だと言われる。

この日は、主が何かをしてくださったから主を愛するのではなく、ただ主ご自身をよろこぶ日。主もまた、私たちが何もなしえなくても、ただ共にいたいと願ってくださっている。それを喜ぶ日である。

イスラエルではこの日は安息日と同じ扱いとなり、ビジネスやバスも止まる。この日は早朝から嘆きの壁で祈る人々でいっぱいとなった。

<シムハット・トーラー(みことばをよろこぶ日)>

シェミニ・アツェレートの翌日(一部の宗派ではシェミニ・アツェレートと同日)はシムハット・トーラーと呼ばれ、主がみことばを与えてくださったことを喜ぶ日とされている。ユダヤ教では、1年間の聖書通読が終わって新しくスタートする日となる。

嘆きの壁ではトーラーの巻物を抱えた男性たちが、喜びながら輪になって踊る姿が見られた。

石堂ゆみ

ジャーナリスト、元イスラエル政府公認記者、イスラエル政府公認ガイド、日本人初のヤド・ヴァシェム公式日本語ガイドとして活動しています。イスラエルと関わって30年。イスラエルのニュースを追いかけて20年。学校・企業・教会などで講演活動もしています。

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