教皇フランシスが残したもの 2014.5.27

ローマ・カトリックの教皇フランシスの中東3日間の歴訪が終わった。バチカンは、「政治的にも難しい中東訪問だったが、教皇はバランスを保って、平和のメッセージを伝えるという目的を達成した」と語っている。

1、東方教会との象徴的和解で世界のキリスト教徒にインパクト

教皇は、予定通りエルサレムの聖墳墓教会の、キリストの空の墓の前で、東方教会総主教バルソロメオス1世と共に、頭のおおいをはずして神のまえにひざまずき、共に祈る時を持った。

実に情けないことだが、聖墳墓教会は、キリストの墓と言われている場所の前で、常に様々な宗派がけんかしているような教会建物である。

その聖墳墓教会で一番大きな勢力を持っているのはギリシャ正教(東方教会)。カトリックは、決められた時間に、ギリシャ正教や他の宗派と重ならないように礼拝を捧げている。カトリックとギリシャ正教が一緒に礼拝することは絶対にない。

その勢力争いの絶えないこの教会建物の中で、それぞれの最高指導者が、共に祈りを捧げたことはかなり画期的。全世界のキリスト教徒に大きなインパクトがあったと報道された。

2、イスラエルとパレスチナに対するバランスのとれた対応

今回、教皇は、これまでの教皇のようにイスラエルの空港から入るのではなく、まず西岸地区のベツレヘムから入ったことにイスラエル政府は不満だった。

これではパレスチナを国家と認めているようなものだからである。実際、教皇は、「State of Palestine(パレスチナ国家)」という言葉を使った。

さらに予定外に、イスラエルが建てた防護壁(パレスチナ人にとっては分離壁)の前で祈りを捧げ、イスラエルにとってはあまりよいイメージの報道にはならなかった。

しかし、その後イスラエルでは、ヘルツェルの丘にあるパレスチナ人によるテロ犠牲者の名前が彫られた記念碑の前で、「テロの被害者のために祈ります。どうかテロをとめてください。」と祈り、バランスをとった形となった。

教皇は、アッバス議長と、ペレス大統領をバチカンで共に平和のために祈るよう招待し、両者はこれを受け入れた。早ければ来週にも実現する。

3、ヤドバシェムでホロコースト生存者と面会

教皇は、ヤドバシェムの記念ホールで献花。ネタニヤフ首相の横で深々と頭を下げっぱなしの教皇の姿が印象的だった。

また、教皇は、ホロコースト生存者6人に面会した。生存者に会った教皇もつらかったと思うが、会う決心をされた生存者たちに敬意を表したい。

4、宗教間の平和

教皇は、神殿の丘で、イスラム教のグランドムフティと共に写真に収まっている。その後、2人のチーフラビにも会い、ラビたちがずらっと並ぶ前でスピーチを行った。

また今回、アルゼンチン時代からの友人である、ユダヤ教ラビ・スコルカと、イスラム教指導者オマル・アブードを同伴。3人で嘆きの壁を訪問したことを、エルサレムポストは「宗教間に平和が可能であることを示唆する。」光景だったと報じている。

昨日帰国に際し、ネタニヤフ首相は、「あなたのために祈ります。私のために祈ってください。」と伝えた。

今回の教皇フランシスのイスラエル訪問は、これまでのどの教皇よりフレンドリーで、互いの間にあった敷居を下げたようである。チーフラビ局のラビ・ローゼンは、「歴代教皇の訪問はこれで3回目。教皇のイスラエル訪問が、普通のことになりつつある。」と語っている。

5、中東訪問後もパワフル

中東歴訪を終えたばかりの教皇フランシスだが、疲れているとおもいきや、BBCによると、カトリック教会の僧侶に性的暴行を受けた被害者8人に会うと発表した。

教皇は、こうした行為は「醜い犯罪であり、悪魔的だ。」と語っている。この問題に具体的にメスを入れ、改革をすすめているのは、教皇フランシスが初めて。

<石のひとりごと/実物・教皇フランシス>

今回、ベングリオン空港の歓迎式典で教皇本人を直接拝見した。教会改革など、力強い動きをしているのでどんなパワフルな人かと思ったが、この時の教皇は、以外にも謙遜を絵に描いたような人物で、どこか弱々しい感じもあった。

疲れていたのかもしれないが、声も小さく、表情もなんとなく固かった。

ヘリコプターから降り立って一人で立った瞬間、なんとも孤独な感じに見えた。彼はおそらく、ただ純粋に平和をもたらしたいと願っているだけではないかと感じた。

実際、教皇は、ヨルダン軍のヘリコプターでベングリオン空港に到着。そこからイスラエル軍のヘリコプターに乗り換えてエルサレム入りしている。ヨルダン軍のヘリがイスラエルの空港に入るのはめったにないことである。

空港での歓迎式典が終わると、イスラエルの警備員や、式典係の女性たちが次々にヨルダン軍のマークをつけたのヘリに近づいてきて、ヘリコプターと、ヨルダン軍兵士とともに写真に収まっていた。

能天気なイスラエル人らしい光景だが、断りもせずそれに応じているヨルダン軍兵士を見て、今回一番感動したかもしれない。天の父も、日頃敵対する両国の兵士たちが仲良く写真をとっている姿を喜ばれたと思う。

記者も読者のほとんどもカトリックではないと思うが、いかんせん世界の目には、教皇がキリスト教の象徴であり、教皇がイエスの看板を背負っているということは否定できない。

教皇フランシスが、聖霊に満たされて、彼にしかできない使命を果たす事ができるよう、とりなす思いが与えられた。

石堂ゆみ

ジャーナリスト、元イスラエル政府公認記者、イスラエル政府公認ガイド、日本人初のヤド・ヴァシェム公式日本語ガイドとして活動しています。イスラエルと関わって30年。イスラエルのニュースを追いかけて20年。学校・企業・教会などで講演活動もしています。

1 comments

記事を興味深く読ませていただきました。フランシス教皇のとった行動の意味を理解することができました。有難うございました。

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