守られた!?ゴラン高原 2012.10.14

イディアト・アハロノト紙によると、2010年末、ネタニヤフ首相とバラク国防相は、シリアのアサド政権と極秘の交渉を行い、「シリアがヒズボラとイランとの関係を絶つならば、イスラエルはゴラン高原から撤退する。」ともちかけたという。

ネタニヤフ首相府とバラク国防相は、これを否定しているが、当時シリアのアサド政権とイスラエルの間に極秘交渉が進展しており、もう少しでなんらかの合意に至りそうであったことは、アメリカも認めている。

”幸い”この2010年末に始まった極秘交渉は2011年に1月に始まったシリアの内戦(当時は市民デモ)で中断され、なんの合意にも至らないまま頓挫した。

もしこの時、イスラエルとシリアがなんらかの合意に至り、シリアがゴラン高原に足がかりを作っていたとしたら、シリアが内戦となった今、イスラエルの防衛に大きな脅威になっていたものと思われる。

石堂ゆみ

ジャーナリスト、元イスラエル政府公認記者、イスラエル政府公認ガイド、日本人初のヤド・ヴァシェム公式日本語ガイドとして活動しています。イスラエルと関わって30年。イスラエルのニュースを追いかけて20年。学校・企業・教会などで講演活動もしています。

コメントを残す

*