内戦・虐殺のエチオピアから移住316人到着:2000人受け入れ予定 2020.12.7

エチオピアからの移民を迎えるネタニヤフ首相夫妻 出展:GPO

3日、内戦が激化しているエチオピアから、ファラシャ・ムーシャと呼ばれるユダヤ人316人が、イスラエルに到着。4日にも100人以上が到着し、今週だけで、500人がイスラエルへの移住を果たした。

エチオピア・エアから降り立った移住者たちは、地面にキスしたり、ユダヤ教で”贖い”を象徴する角笛を吹き鳴らして、喜びを分かち合った。イスラエルは、2013年にいったん、エチオピアからの移住者を停止したこともあり、今回、移住するまで15年待ったという人もいたという。

ファラシャ・ムーシャの移住については、1984年のモーセ作戦で8000人、1991年には、ソロモン作戦で、イスラエル軍が、1万四千人を1日半の間に空輸するという劇的な移住が歴史に残されている。以後、イスラエルに住むエチオピア系のユダヤ人は14万人にまで増えた。

ベングリオン空港では、ネタニヤフ首相、アシュケナジ外相、ガンツ防衛相ら、政府高官たちと、自身もエチオピア系のプニナ・タマノ・シャタ移住担当相が、移住者を歓迎した。シャタ移住担当相は、1984年に、モーセ作戦で、イスラエルに移住した人である。300人以上のエチオピア系ユダヤ人の移住は、80年代90年代の移住を彷彿とさせるものであった。

移住は今後も続き、イスラエル政府は、2000人を受け入れることになっている。ネタニヤフ首相はこの計画を10月い発表。経費として、3億7000万シェケル(約40億円)を計上していた。*経費については、ユダヤ機関も関与している。

www.timesofisrael.com/kissing-the-ground-hundreds-of-ethiopian-immigrants-welcomed-to-israel/

<エチオピアの現状>

エチオピアの紛争は今に始まったことではない。しかし、約1ヶ月前の11月5日、北部の州都メケレで、少数民族ティグレが、軍事行動を開始したことから、政府軍との激しい戦闘が始まった。アビー首相は、政府軍は、28日にはこれを制圧したと発表した。しかし、実際には、まだゲリラ戦は続くと懸念されている。

その後、ティグレ州南西部の町マイカドラで、少なくとも市民600人が、ティグレ人に虐殺されていたことが明らかになり、世界を震撼させた。

this.kiji.is/704182924863947873

また、この地域は、今回の戦闘が始まる前からすでに60万人が食料支援を受けていた地域であった。そこへこの戦闘で、ひと月あまりの間、食料、医薬品が届かなかったことから、飢餓など深刻な人道問題になっていると伝えられている。

さらに、この戦闘で、4万人が難民となってスーダンへ逃れた他、エチオピアにいた10万人近くのエリトリア人もスーダンへ逃れたという。混乱は深刻になっている。

jp.reuters.com/article/ethiopia-conflict-idJPKBN28H0N4

<先に移住していたエチオピア系が首相官邸で受け入れを要請:11月25日>

エチオピアの状況が深刻になる中、先月11月25日、エルサレムでは、すでに移住しているエチオピア系の人々約二百人が、首相官邸前に集まり、まだエチオピアにいる家族らの写真を掲げるなどして、移住を受け入れるよう要請するラリーを行っていた。

エチオピアでは、まだ1万4000人が移住を希望しているという。しかし、イスラエルは、2013年からエチオピアからの移住を一旦保留にしていており、それからの移住者はわずか2257人であった。今回受け入れるのも、受け入れるのは、2021年1月までに2000人に止めている。

理由は、エチオピアのユダヤ人が歴史の中で一旦キリスト教に改宗した時期があり、ユダヤ人と認めるかどうかで論議も続いているということも一因と考えられている。

しかし、今回の紛争では、移住を24年間待っていたと言われるギルミュー・ゲテさん(36)が死亡したとのこと。エチオピアには、イスラエルに移住できないユダヤ人がまだ数千人は残るということである。

www.timesofisrael.com/ethiopian-israelis-beg-government-to-airlift-relatives-from-war-torn-country/

石堂ゆみ

ジャーナリスト、元イスラエル政府公認記者、イスラエル政府公認ガイド、日本人初のヤド・ヴァシェム公式日本語ガイドとして活動しています。イスラエルと関わって30年。イスラエルのニュースを追いかけて20年。学校・企業・教会などで講演活動もしています。